2月25日、鶯の籠をかけたり上根岸

 2月25日です。木曜日です。あと5日で小説をひとつでかさなければなりません。おいしいお酒を飲んできました。これであとは小説さえかければ申し分ありません。温良恭倹譲の気持で日々すごす必要があります
 朝6時に三浦優子さんから電話がかかっていました。気が付きませんでした。気になって7時30分に電話すると、午前3時に賢伍さんが亡くなったということでした。病院から運ばれて家に帰って来たので、顔を見に来てほしい、と言われました。20年前、お互いに元気だったころ、酒を飲むとよく賢伍さんから「俺が死んだら、お前、葬儀委員長やってくれ」と冗談をいわれたものでした。
 賢伍さんのたったひとりの弟子、しかも不肖の弟子だった私はとうとう師匠から認められることなく先に逝かれてしまいました。
 2010年のクリスマスに、中国の哈尓濱で氷の都の祭典を観てきたあとのホテルで、賢伍さんが「葬儀委員長しに戻ってこい」と呼んでいる夢をみたのでした。30日に帰国し、正月早々、桂木の自宅を訪れたとき、賢伍さんはしごく元気でしたが、実はしつこい癌に罹っていたのでした。それでも気丈な賢伍さんは、癌があちこち転移していたにもかかわらず、自分を鼓舞しながら5年超も生き続けたのでした。「あと1年で金婚式だったので、それまで生きていてほしかった」と優子さんは語りました。明日は納棺、29日が出棺、火葬、通夜、3月1日が葬式・法事です。
 上司であり、先輩であり、何より師であった賢伍さんとの思い出は、この40年の年月のなかで大きな位置を占めており、汲めども尽きることのない泉のように噴き、湧き出てきます。法事が終わるまで、喪に服すことにします。
 子規が上根岸の88番地に間借りしていた時代、短歌や俳句の研究のため部屋中に原稿や書物を散らかしていたようですが、たまりかねた大家の主婦が勝手に片づけてしまうので困ったようです。まわりに取り散らかしているのがカワウソが魚を祭る様に似ていることから、「獺祭書屋」と名付け、それを号にしたのでした。
 だっ‐さい【獺祭】
①カワウソが多く捕獲した魚を食べる前に並べておくのを、俗に魚を祭るのにたとえていう語。
②転じて、詩文を作るときに、多くの参考書をひろげちらかすこと。正岡子規はその居を獺祭書屋と号した。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言229です。
 小的时侯,不把他当人,大了以后,也做不了人。
 Xiǎo de shíhòu, bù bǎ tā dāng rén, dàle yǐhòu, yě zuò bùliǎo rén.
「幼いときに人として扱われなければ、大人になっても人として生きられない。」

 今日の論語一日一章は、論語15-38(論語巻第八 衛霊公第十五篇 38章)です。
 子曰、事君敬其事而後其食、
 Zǐ yuē, shì jūn jìng qí shì érhòu qí shí,
 (子曰,事君敬其事而后其食,)
 「子曰わく、君に事(つか)えては、其の事を敬して其の食を後にす。」
 (孔子がいわれた、「主君に仕えるには、何よりもその仕事を慎重にして、俸禄のことはあとまわしにすることだ。」と。)