10月31日、はりはりと木の実降る也檜木笠

 今日は10月31日、10月最後の日で月曜日です。雨が降っているので、日課を優先しました。昨日、北狄作品集6が届いていました。
 
 今日の魯迅箴言365日は、箴言363です。
 我们先前的批评法,是说,这苹果有烂疤了,要不得,一下子抛掉,然而买者的金钱有限,岂不是大冤枉,而说此后还要穿下去。所以,此后似乎最好还是添几句,倘不是穿心烂,就说;这苹果有着烂疤了,然而这几处没有烂,还可以吃得…所以,我又希望刻苦的批评家来做剜烂苹果的工作,这正如”拾荒”一样,是很辛苦的,但也必要,而且大家有益的。
 Wǒmen xiānqián de pīpíng fǎ, shì shuō, zhè píngguǒ yǒu làn bāle, yàobùdé, yīxià zi pāo diào, rán'ér mǎi zhě de jīnqián yǒuxiàn, qǐ bùshì dà yuānwǎng, ér shuō cǐhòu hái yào chuān xiàqù. Suǒyǐ, cǐhòu sìhū zuì hào huán shì tiān jǐ jù, tǎng bùshì chuān xīn làn, jiù shuō; zhè píngguǒ yǒuzhe làn bāle, rán'ér zhè jǐ chù méiyǒu làn, hái kěyǐ chī dé…suǒyǐ, wǒ yòu xīwàng kèkǔ de pīpíng jiā lái zuò wān làn píngguǒ de gōngzuò, zhè zhèngrú” shíhuāng” yīyàng, shì hěn xīnkǔ de, dàn yě bìyào, érqiě dàjiā yǒuyì de.
 我々のこれまでの批評はこうだった。「この林檎には傷がある、役に立たぬ」といって、ポンと捨ててしまう。しかし、買う方はいくらも金を持っていないのだから、これでは甚だ迷惑千万である。まして今後は次のようなことを言い添えるのが最もである。もしも芯まで腐っていなかったら、「この林檎には傷がある、しかしこのへんは腐っていないから、まだ食える」というのだ。こういう風にやれば、翻訳の良し悪しは明らかになり、そして読者の損失も少なくなくてすむわけである。・・・だから、私は根気強い批評家が腐ったリンゴをえぐる仕事をしてくれることを希望する。それはちょうど「落穂拾い」と同様、甚だ辛抱のいることであるが、必要な、しかもみんなに有益なことでもある。