11月13日、牛喰へと勧むる人や冬籠

 今日は11月13日、日曜日です。秋の核燃共同行動の日でもあります。夕方から同じ会場で核燃阻止1万人訴訟原告団主催の「日米原子力協力協定と六ケ所再処理工場の問題」の学習会がありました。核情報を主宰する核問題の翻訳家で同時通訳者でもある田窪雅文さんです。田窪さんが訳した「プルトニウム」は私の愛読書の一つでもあります。田窪さんとは、原子力資料情報室の日米原子力協定PTのチームメンバーとして知り合ったものです。
 田窪さんから、なぜアメリカがユートラムのほか日本だけに使用済み核燃料の再処理によってプルトニウム保有することに包括的同意を与えているのか、米政府が増え続けるプルトニウムを生む再処理に懸念を表明しているのに、しかもユートラムの非核保有国のドイツやオランダ、デンマークなどが続々と再処理路線から撤退し、直接処分に切り替えているのに、国際的非難や警戒があるなかで、日本が再処理に固執するのかといった課題について丁寧にしかも論理的に話されました。
 いい学習会だと思いました。懇親会でも田窪さんは、それぞれの質問に冷静に穏やかな口調で丁寧に答えていました。

 今日の魯迅箴言130は、箴言13です。
 用玩笑来应付敌人,自然也是一种好战法,但触着之处,须是对手的致命伤,否则,玩笑终不过是一种单单的玩笑而已。
 Yòng wánxiào lái yìngfù dírén, zìrán yěshì yī zhǒng hào zhàn fǎ, dàn chùzhe zhī chù, xū shì duìshǒu de zhìmìng shāng, fǒuzé, wánxiào zhōng bùguò shì yī zhǒng dāndān de wánxiào éryǐ.
 揶揄いで敵をあしらうのは、ひとつの有効な戦法だが、その突くところは、必ず相手の致命傷でなければならない。さもなければ、揶揄はただの揶揄に終わろう。

 逆に、敵の致命傷を突くときには、直截的でなく、なるべくウィットに富んだ揶揄いであしらうくらいの余裕がほしいものです。
 表題の句は、明治32年(1899年)11月13日に詠んだものです。実は子規は牛肉が大好きで、明治ころは隔日に牛肉を食べていたようです。病のなかで、漱石が驚嘆するほどの胃袋の持ち主の面目躍如です。