8月21日、病床の我に露ちる思ひあり

 今日は8月21日、月曜日です。昨夜、正式にまちエネ大学の開催地に決定されたとの連絡がありました。これから忙しくなりそうです。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言142です。
 其实无论什么都是有弊的,就是吃饭也是有弊的,它能滋养我们这方面是有利的;但是一方面使我们消化器官疲乏,那就不好而有弊了。假使做事要面面顾到,那就什么事都不能做了。
 Qíshí wúlùn shénme dōu shì yǒu bì de, jiùshì chīfàn yěshì yǒu bì de, tā néng zīyǎng wǒmen zhè fāngmiàn shì yǒulì de; dànshì yī fāngmiàn shǐ wǒmen xiāohuà qìguān pífá, nà jiù bù hǎo ér yǒu bìle. Jiǎshǐ zuòshì yào miàn miàn gù dào, nà jiù shénme shì dōu bùnéng zuòle.
 むろんじつはどんなに弊害があってもなくても、ご飯をたべるのは弊害があるものはない。滋養をとれるものが我々にとってこの方面では有利である。ただ、有る面では我々の消火器管が疲弊するだけであり、疲れてしまうのは好ましいことではない。ひとつひとつこうして作ったとしても、作りきれるものではない。