今日は10月8日、GEAの移転の手続きをすませたら、明日からは県民エナジーの仕事もできるだけ古川2丁目の事務所ですることにします。輝代さんの体調も一進一退です。痛みやしこりもあるようですが、いまはそっとしておきたいと思います。今日も5時に起きて、プルトニウム研究、漱石「心」写読、子規歳時、魯迅箴言、論語読解と朝の日課をやっています。夜は、小説執筆と資本論読解と岩井「貨幣論」研究とやることがたくさんあって、時間が経つのが惜しくてなりません。昨夜は、資本論を読み返していて、2017年につけた自分の註がなつかしくて、2年前のことが思い起こされました。
今日の子規歳時は、明治28年子規が今出からの帰途、車上で詠んだ句です。「病牀六尺」には、「宗教を信ぜぬ余には宗教も何の役にも立たない」と書き、信ぜぬものに神の救いも及ばす、南無阿弥陀仏で日は暮らせないと詠んだ句です。
纵令不过一洼浅水,
也可以学学大海;
横竖都是水,
可以相通。
たとえ浅い水たまりに過ぎなくても、
大海を学ぶことはできる。
いずれにせよ、どちらも水なのだから、
あい通じるはずであるから。