魯迅箴言日記 2019/11/07 燈心の如き白菊咲きにけり

 今日は11月7日、木曜日です。今朝は4時に起き、9月26日の県民エナジーの第2回検討委員会の議事録を作っています。このプロジェクトの意味が分かるようになりました。今日も日課のあと、この議事録作成をつづけます。

 昨日は、さとうひろしさんと出会い、そのすぐあと事務所の前でたまかわひろしさんともあいました。偶然、二人ともひろしさんでした。

 

 今日の子規歳時は、明治33年の句です。翌34年の11月6日に子規は、ロンドンにいる漱石になつかしさのあまり、めずらしく手紙を書き、今一便の手紙を頼んだ。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言294です。

 死于敌手的缝纫,

    不足悲苦;

    死于不知何来的暗器,

    却是悲苦。

    但最悲苦的是死于慈母

    或爱人误进的毒药,

    战友乱发的流弹,

    病菌的并无恶意的侵入,

    不是我自己制定的死刑。

 相手の鋭利な刃によって死ぬのは、

 悲しむに足りない、

 だが、どこから来たのか分からない闇の武器に死ぬのは、

 むしろ悲しい。

 しかし、最も悲しいことは慈母の、

 あるいは愛人の誤って飲ませた毒薬に、

 戦友の乱発した流弾に、

 病菌の決して悪意のない侵入に、

 自分自身の制定していない死刑によって死ぬことだ。