魯迅箴言日記 2023/05/01 摘みためし手のひらの茶のこぼれけり(明治33年、1900年)

 今日は5月1日、月曜日です。今朝は3時に起き、タブレットの登録をリセットして再登録して起動しました。不具合が直りました。これで十分仕事ができるようになりました。今日は一日家に居て、日課、ブログの更新をして、残っている作業をやりつづけます。

 今日の子規歳時は、「摘みためし手のひらの茶のこぼれけり(明治33年、1900年)」です。ここで、茶摘みの季語は春です。のどかな風景が目に見えるようです。

 今日の魯迅箴言は、箴言365-13「きわめて日常的な」です。

 极平常的,

    或者简直近于没有事情的悲剧,

    正如无声的言语一样,

    非由诗人画出它的形象来,

    是很不容易觉察的。

    然而人们

    灭亡于英雄的特别的悲剧者少,

    消磨于极平常的,

    或者简直近于没有事情的悲剧者却多。

 きわめて日常的な、

 さもなくば何事もなかったような悲劇は、

 まさに言いようのない言葉と同様に、

 気づかれないものである。

 しかして、人々は、

 英雄のような特別の悲劇に身を滅ぼす者は少なく、

 きわめて日常的な、さもなくば何事もなかったように見える悲劇に、

 身を消耗させる者のほうが多い。

 詩人によってその形象が描き出されない限り、