魯迅箴言日記 2019/10/23 行秋や病気見舞の青蜜柑

 今日は10月23日、水曜日です。今朝は5時に浅虫温泉宿屋つばきで目覚めました。昨夜は、6時半から宴会で9時には部屋に戻り、温泉にゆっくり浸かり、10時には眠くなり、ベッドに横になりました。今日は津軽弁の日です。高木恭三さんの命日です。今夜は早く家に帰り、「まるめろ」を読むことにします。

 

 今日の子規歳時は、子規の誕生日旧暦9月17日が10月23日でした。明治33年の誕生日に詠んだ句です。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言279です。

 この箴言は、「『偽自由書』前記」から抜粋したもので、前記と標題されたこの文章は、1933年7月19日に上海で書かれたものです。

 我向来的意见,

    是以为倘有慈母,

    或是幸福,

    然若生而失母,

    却也并完全的不幸,

    他也许倒成为更加勇猛,

    更无挂碍的男儿的。

 私の前からの意見では、

 もし慈母がいれば幸福であるかも知れないが、

 しかし、もし生まれて若くして母を失ったとしても、

 それがまったくの不幸だいうわけではなく、

 その子供はかえってますます勇猛になり、

 後に心をひかれる心配のない男児となるかもしれない、と考えていたからである。