魯迅箴言日記 2019/11/25 襟寒き絹の蒲団や銀襖

 今日は11月25日、月曜日です。昨日は、日課をやり、小説を書き、川柳の研究会へ出て、古川の私の事務所で30分ですが、小説を書き、そのあと千葉に移住する川柳の先輩の送別会に出ました。910で黒・ハーフ&ハーフ・生ビールを飲み、そのあと田酒とじょっぱりを1合ずつ升で飲み、焼酎サワーを3杯飲みました。

 実は昨日の朝からデスクトップのPCが起動しなくなりました。川柳の会に行く前に何度か起動を試みましたがうまくいきません。結局、新しいノートPCで仕事をすることにしました。910から帰ってきて、パソコンのルーターのスイッチを入れなおしたところ、起動しました。ほっとしたところです。

 今日は朝9時に自分の事務所へ行き、1時間小説を書き、10時からGEAの事務所で仕事を10時半までして、11時55分の電車で弘前へ行きます。午後1時から駅前のアートホテルでの県と弘大の再エネ関連の講演会に出て、夕方戻り、そのあとは市民の会の例会です。鹿内さんのレポートについても報告してもらいます。

 

 今日の子規歳時は、明治22年の大磯での大谷是空との四日間を思い出した明治32年の句です。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言312です。

 但做文学的人总得闲定一点,

   正在革命中,那有功夫做文学。

   我们且想想;在生活困乏中,

   一面拉车,一面”之乎者也”,

   到底不大便当。

   古人虽有种田做诗的,

   那一定不是自己在种田,

   雇了几个人替他种田,

   他才能吟他的诗;

   真要种田,就没有功夫做诗。

 しかし、文学をやる人はどうしても暇がないといけない。

 革命の真っ只中では、とても文学をやっている暇なんかありません。

 一寸考えてごらんなさい。生活に困って、

 車を引っ張りながら、「之乎者也」をやるのは、

 何といってもあまり都合よくない。

 古人には田をつくりながら詩を作った人もありますが、

 あれはきっと自分で田を作ったのではない。

 人を雇って田を作らせていたからこそ、

 彼らは詩を作ることができたのです。

 本当に田を作っていた日には、とても詩を作る暇なんかありはしません。