引受の月次の会や炉の名残

 今日は2月7日、水曜日です。正岡子規が根岸の子規庵で天明の俳聖与謝蕪村の蕪村句集輪講を始めたのが明治31年(1898年)1月のことで、2月7日に第2回目を開いています。この輪講は子規の病が重くなってからもながく続けられました。この研究によって、蕪村は世に知られるようになったのです。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言312です。
 但做文学的人总得闲定一点,正在革命中,那有功夫做文学。我们且想想;在生活闲乏中,一面拉车,一面”之乎者也”,到底不大便当。古人虽有种田做诗;真要种田,雇了能吟他的诗;真要种田,就没有功夫做诗。
 Dàn zuò wénxué de rén zǒng déxián dìng yīdiǎn, zhèngzài gémìng zhòng, nà yǒu gōngfū zuò wénxué. Wǒmen qiě xiǎng xiǎng; zài shēnghuó xián fá zhōng, yīmiàn lā chē, yīmiàn” zhīhūzhěyě”, dàodǐ bù dà biàndang. Gǔrén suī yǒu zhòngtián zuò shī; zhēn yào zhòngtián, gùle néng yín tā de shī; zhēn yào zhòngtián, jiù méiyǒu gōngfū zuò shī.
 しかし、文学をやる人はどうしても暇がないといけない。革命の真っ只中では、とても文学をやっている暇なんかありません。ちょっと考えてごらんなさい。生活に困って、車を引張りながら、「之乎(なりけり)者也(あらんや)」をやるのは、何といってもあまり都合がよくない。古人には田を作りながら詩を作った人もありますが、あれはきっと自分で田を作ったのではない。人を雇って田を作らせていたからこそ、彼らは詩を作ることができたのです。ほんとうに田を作っていた日には、とても詩を作る暇なんかありはしません。