魯迅箴言日記 2020/11/14 蘭学の書生なりけり薬喰

 今日は11月14日、土曜日です。9時間半も眠ったせいか、腰は痛みましたが、起きたらすっきりしました。午前中は日課をやり、午後は県立図書館での中国語教室、帰って来て、大相撲を見ながら校正をやり、夕食後、小説を書くことにします。

 

 今日の子規歳時は、「蘭学の書生なりけり薬喰」(明治34年)です。牛肉が好きだった子規が明治34年5月、歯を痛め、牛肉が食べられなくなったとのことです。私も昨年、神田歯科に通って、部分入れ歯にしてから、人間にとって歯が如何に大事か良くわかりました。去年の7月5日二本目の前歯が抜けて、仕方なく家から近い浪館通りの昔、我が家のかかりつけの内科の先生が亡くなって、その場所に建てられたのが35区神田歯科だった。何で35区なのか、気になっていつか先生に聞きたいのだが、聞きそびれています。

 

 今日の日本国憲法は、憲法第2条です。

 第2条〔皇位世襲と継承〕

皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

 

 京の魯迅箴言は、箴言365日の第162日目「世間にはいわゆる閑な事(どうでもいいこと)など存在せず」です。

 原文;

 天下本无所谓闲事,只因为没有这许多遍管的精神和力量,于是便只好抓一点来管。为什么独抓这一点呢?  自然是最和自己相关的,大则因为同是人类,或是同类,同志;小则,因为是同学,亲戚,同乡,--至少,也大概叨光过什么,虽然自己的显在意识上并了然,或者其实了然,而故意装痴作傻。

 拼音;

 Tiānxià běn wúsuǒwèi xiánshì, zhǐ yīnwèi méiyǒu zhè xǔduō biàn guǎn de jīngshén hé lìliàng, yúshì biàn zhǐhǎo zhuā yīdiǎn lái guǎn. Wèishéme dú zhuā zhè yīdiǎn ne?  Zìrán shì zuì hé zìjǐ xiāngguān de, dà zé yīnwèi tóng shì rénlèi, huò shì tónglèi, tóngzhì; xiǎo zé, yīn wéi shì tóngxué, qīnqī, tóngxiāng,--zhìshǎo, yě dàgài dāo guāngguò shèn me, suīrán zìjǐ de xiǎn zài yìshí shàng bìng liǎo rán, huòzhě qí shí liǎo rán, ér gùyì zhuāng chī zuò shǎ.

 訳文;

 世間にはいわゆるどうでもいい事など存在せず、ただあれこれ首を突っ込む気力も力もないため、ある一つだけをつかまえて関わるのである。なぜその一つなのか? それが自分と、もっとも関わりが深いからという理由で、大きくわけると、人類、同じ人種、もしくは同志といったものであり、小さいものでは、同級生、親戚、同郷の者だからです。少なくとも、彼らの意識ではすでに終わっていることでも、何だろうかと尋ねたり、実際には知っていることでも、わざと愚かなふりをするものなのです。