今日は11月14日、土曜日です。9時間半も眠ったせいか、腰は痛みましたが、起きたらすっきりしました。午前中は日課をやり、午後は県立図書館での中国語教室、帰って来て、大相撲を見ながら校正をやり、夕食後、小説を書くことにします。
今日の子規歳時は、「蘭学の書生なりけり薬喰」(明治34年)です。牛肉が好きだった子規が明治34年5月、歯を痛め、牛肉が食べられなくなったとのことです。私も昨年、神田歯科に通って、部分入れ歯にしてから、人間にとって歯が如何に大事か良くわかりました。去年の7月5日二本目の前歯が抜けて、仕方なく家から近い浪館通りの昔、我が家のかかりつけの内科の先生が亡くなって、その場所に建てられたのが35区神田歯科だった。何で35区なのか、気になっていつか先生に聞きたいのだが、聞きそびれています。
皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
京の魯迅箴言は、箴言365日の第162日目「世間にはいわゆる閑な事(どうでもいいこと)など存在せず」です。
原文;
天下本无所谓闲事,只因为没有这许多遍管的精神和力量,于是便只好抓一点来管。为什么独抓这一点呢? 自然是最和自己相关的,大则因为同是人类,或是同类,同志;小则,因为是同学,亲戚,同乡,--至少,也大概叨光过什么,虽然自己的显在意识上并了然,或者其实了然,而故意装痴作傻。
拼音;
訳文;
世間にはいわゆるどうでもいい事など存在せず、ただあれこれ首を突っ込む気力も力もないため、ある一つだけをつかまえて関わるのである。なぜその一つなのか? それが自分と、もっとも関わりが深いからという理由で、大きくわけると、人類、同じ人種、もしくは同志といったものであり、小さいものでは、同級生、親戚、同郷の者だからです。少なくとも、彼らの意識ではすでに終わっていることでも、何だろうかと尋ねたり、実際には知っていることでも、わざと愚かなふりをするものなのです。