今日は6月5日、土曜日です。昨日、6月4日、午後3時10分に旧社会党・社民党の幹事長を歴任した闘病中の駒田正義さんが亡くなったとの知らせがありました。駒田さんの亡骸は、病院から港町の自宅には戻らず、東青森駅近くの葬儀屋に安置されたとのことで、吉川・工藤さんとともに、お悔やみに9時に伺いました。あの頑丈な駒田さんはやせ細り、それでも安らかな寝顔でした。6畳くらいの和室の端の蒲団で駒田さんは眠っていました。穏やかな表情に、社会主義を実現できなかった無念さは感じられませんでした。法華宗の寺の和尚の読経を耳に、在りし日の駒田さんの姿を想い浮べました。青森にもどってからの付き合いなので、かれこれ45年の長い付き合いでした。喪主の長男につづいて、私たち三人きりも焼香して、すこし寂しいお悔やみとなりました。午後に、おかじょうきの句会がありましたが、ときどき駒田さんのことが頭に浮かび、句会に集中できませんでした。句会のあと、日本画家の小野五郎さんと生ビールを三杯のみ、心の中で酒の好きだった駒田さんへ献杯しました。五郎さんと別れ、ひとりでとり平に寄り、いつものワンコインで焼酎水割り二杯とハツ4本で満足して帰りました。
今日の子規歳時は、「露あかしいちこ畑の山かづら(明治28年、1895年)」です。
第88条〔皇室財産・皇室費用〕
すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない。
今日の魯迅箴言は、箴言365日の第361日目「私は文を論ずる場合、いつもそう思っている」です。
原文;我总以为倘要论文,最好是顾及全篇,并且顾及作者的全人,以及他所处的社会状态,这才较为确凿。要不然,是很容易近乎说梦的。
拼音;
訳文;
私はいつもそう思っているが、文を論ずる場合には、全文を見るのが何よりで、その上に作者の全人格、ないしは彼が生活した社会状態に考えを及ぼさなければ、それの正確は期しがたい。そうしないと、夢の話のようなものになってしまう恐れがある。