魯迅箴言日記 2022/06/15 麦藁の籠に盛りたるゆすら哉(明治31年、1898年)

 今日は6月15日、水曜日です。北狄399号のニ校をしています。新報配り、中央郵便局、浪館小学校、九条の会の街宣、生活クラブ生協で風晴宅、正嵐、王味、岳樺、ぽー、とり平に寄りました。

 今日の子規歳時は、「麦藁の籠に盛りたるゆすら哉(明治31年、1898年)」です。

 麦藁;麦の実を取り去ったあとの茎。むぎから。夏。〈新撰字鏡(8)〉
ゆすら;(→)「ゆすらうめ」に同じ。

 ゆすら‐うめ【桜桃・山桜桃・梅桃】;

バラ科の落葉低木。中国原産。高さ約3メートル。葉は楕円形。春、葉に先立って葉のつけ根に白色5弁の小花を開く。花後、小球形の核果を結び、梅雨の頃紅熟、食用。ゆすら。漢名、英桃。一部地方でニワウメと呼ぶが別種。夏。「山桜桃の花」は春。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-49「麦藁の籠に盛りたるゆすら哉(明治31年、1898年)」です。

 专门家的话多悖的事,还得加一点申说。

    他们的悖,未必悖在讲述他们的专门,

    是悖在倚专家之名,来论他所专门以外的事。

 専門家がひとりよがりだということは、もう少し説明が必要だろう。

 彼らの独善は、必ずしもその専門についての話にあるのではなく、

 むしろ専門家の名をいいことに、専門外まで論じるところにある。