魯迅箴言日記 2022/07/17 祇園会や二階に顔のうづ高き(明治31年、1898年)

 今日は7月17日、日曜日です。日課は、「糟糠の妻」筆記、漱石三四郎」筆記、斎藤幸平「カールマルクス資本論』」、斎藤幸平「人新世の『資本論』」、高橋洋一「戦後経済史は嘘ばかり」、「資本論第二分冊第二篇絶対的剰余価値」筆記、「続 下北半島核景色」執筆、岩井克人ヴェニスの商人資本論」筆記、高木仁三郎「六ケ所村核燃料サイクル施設批判」、同第四部「再処理施設」、「子規歳時句」、「論語一日一節」、「魯迅箴言日記」の11課が私の毎日の日課です。

 今日の子規歳時は、「祇園会や二階に顔のうづ高き(明治31年、1898年)」です。

 祇園会;京都の八坂神社の祭礼。陰暦6月7日から14日、今は7月17日の山鉾やまぼこ巡行・神輿しんよ渡御を中心に7月に行う。祇園御霊会。祇園祭。夏
[広辞苑 第七版]

 今日の魯迅箴言は、箴言130-80「中国に伝わる古いやり方には、間違いが多い。」です。

 中国相传的成法,谬误很多;

    一种是锢闲,

    以为可以与社会隔离,不受影响。

    一种是教给他恶本领,

    以为如此才能在社会中生活。

 中国に伝わる古いやり方には、間違いが多い。

 一つは子どもをとじこめることで、

 社会から隔離すれば、影響を受けずに済むと考える。

 一つは悪い才覚を教え込むことで、

 社会を生き抜くには、そうそるほかないと考える。