魯迅箴言日記 2022/12/01 腹稿を暖めて居る懐炉かな(明治34年、1901年)

 今日は12月1日、木曜日です。昨日が初雪で、今朝は5センチも車庫前に積もっていました。9時過ぎに寝て、4時前に起きました。体調はわるくありません。4時半ごろから小説を書きました。日課はお預けです。7時50分に家を出て、11時20分に役場に着きました。打ち合わせは12時前に終わりました。アルサスのまんじゅうやで昼を食べ、隣のカフェで珈琲を飲み、1時に富岡さんたちと別れました。福浦の現場には行きませんでした。4時半に青柳事務所に着き、吉川さんを家に送りとどけ、5時に帰宅しました。

 今日の子規歳時は、「腹稿を暖めて居る懐炉かな(明治34年、1901年)」です。

 明治25年12月1日、子規は日本新聞記者として初めて出社した。社長は津軽の人、陸羯南である。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-66「我々(のまわり)には、古くから」です。

 我们从古以来,

    就有埋头苦干的人,有拼命硬干的人,

    有为民请命的人,有舍身求法的人,

    …… 虽是等于为帝王将相作家谱的所谓「正史」,

    也往往掩不住他们的光耀,

    这就是中国的脊梁。

 我々には古くから、わき目もふらず励む人、懸命にやり通す人、

 民のために助けを請う人、捨て身で真理を求める人がいた。

 ……帝王や将軍・宰相の家譜にmの等しい、いわゆる「正史」といえど、

 往々にして彼らの輝きを蔽い隠すことはできなかった。

 これこそ、中国の背骨である。