魯迅箴言日記 2023/02/09 手にとれば飯蛸笑ふけしきあり(明治28年、1895年)

 今日は2月9日、木曜日です。今朝は昨日できなかった川柳の句作を、4時に起きてやりました。吟行会の投句は3句から2句へ投句が変っていましたが、「匂い」3句作ってしまいました。一艘教室の宿題は、題が「白」で5句作ってプリントアウトしました。8時に朝食を食べ、急いで日課をやりました。2時間半で日課は終わりました。そのあと、事務所へ行き、水道管破裂の件で大家と話し合い、12時に工藤さんと一藤でラーメンを食べました。午後1時から一艘川柳教室、席題「服」で1句が秀の1に選ばれましたが、特選には選ばれませんでした。終わって、青柳事務所、アウガ、ジターヌに寄って帰りました。帰宅して、ブログ更新と明日の勉強会の準備をします。

 今日の子規歳時は、「手にとれば飯蛸笑ふけしきあり(明治28年、1895年)」です。

 飯蛸というのは、卵が飯粒のように見えるということがらきた名前です。小さな蛸なので頭からがぶりと食べられます。

 今日の魯迅箴言は、箴言365-2「穏やかな暮らしから、困窮の暮らしへ堕ちた者なら」です。

 有难从小康人家而坠入困顿的么,

   我以为在这途途路中,

   大概可以看见世人的真面目。

 穏やかな暮らしから困窮の暮らしへ堕ちた者なら、

 大概はその過程で世間の人の真面目(本当の貌)

 を見るだろうと、私は思う。