魯迅箴言日記 2023/04/26 影流し春の夕陽の大草鞋(明治27年、1894年)

 今日は4月26日、火曜日です。今日は午後からむさしさんの川柳教室です。今年はいまのところ皆勤賞ですが、内容はいまいちで、今日の宿題もやっつけ仕事になってしまいました。川柳は「17文字の詩です」と思います。それだけに自分のことを、自分の感じた現在、現代を、切り込んで詠いあげる17文字の詩だと思います。文学である以上は、句が活きて読者の記憶に残る必要があり、自分だけわかればいいというものではありません。とにかく、教室の一週間前には句をつくり、投句することにします。

 そんなわけで、日曜日までに句をつくり、二日かけて推敲し、火曜日に投句することにします。そんなことで今年はあと8ヶ月やってみることにします。

 川柳と俳句の違いは、季語があるかないか、だけだとは思いません。

 今日の夜はNPO法人グリーンエネルギー青森の事務局会議です。事務局の古川事務所を撤去して、私の任務は終わったと思います。事務局長としての仕事は、市役所への報告書の提出とアウガへの登録更新で終わりにしたいと思います。古川の事務所の撤去と机や什器類の撤去が終わり、水道管破裂の大家の修理の支払いが終わり、完全に縁がきれたことになります。あの事務所で選挙に出てから9年が経ちました。早いものです。

こんどこそ、文学に打ち込むときがきたようです。真木さんのことが頭に浮かんでいます。

 今日の子規歳時は、「影流し春の夕陽の大草鞋(明治27年、1894年)」です。

 愛媛の海の春の夕日に延びる「大草履」の影をみて子規はこの句を詠んだのでしょうか。

 今日の魯迅箴言は、箴言365-8「古いものと新しいものには、」です。

 旧的和新的,

    往往有极其相同之点。

 古いものと新しいものには、

 往々にしてきわめて似たところがある。