魯迅箴言日記 2023/05/03 春惜む宿や日本の豆腐汁(明治35年、1902年)

 今日は5月3日、憲法記念日の祝日で、曜日は水曜日です。東奥日報の意見広告に名を載せました。今朝は5時に起き、日課をやり、11時には護憲派の市民集会に顔を出しました。参加者は200人でした。あとは、ブログの更新と新報配布の仕分けです。

 今日の子規歳時は、「春惜む宿や日本の豆腐汁(明治35年、1902年)」です。

 ここで、笹の雪;ささ‐の‐ゆき笹の雪】 ①豆腐料理の一種。温めた絹ごし豆腐に葛餡くずあんをかけたもの。江戸下谷根岸の名物。 ②武士が刀に付した名。笹に積もった雪がすぐ落ちるように首や胴がすぐに落ちることを表徴した語。 ③紋所の名。雪持笹。

 子規は叔父、加藤拓川がベルギー公使として出立するに先立ち、「笹の雪」(豆腐汁)に添えて、こく句を贈ったものです。筆者は、笹の雪が豆腐汁だと初めて知りました。

 今日の魯迅箴言は、箴言365-15「人間は社交の必要から集うものの、」です。

 人们因为社交的要求,

    聚在一处,

    又因为各有可厌的许多性质,

    和难堪的缺陷,

    再使他们分离。

    他们最后所发见的距离,

    ――使他们得以聚在一处的,

    中庸的距离,

    就是礼让和”上流的风习”。

 人間は社交の必要から集うものの、

 それぞれがもつ厭うべき多くの気質が宿す耐えがたい欠陥が、

 再び彼らを引き離す。

 彼らが最後に発見した距離感――ひとつの場所に集わせる中庸の距離、

 それが「礼節」と「上流社会の作法」である。