魯迅箴言日記 2023/05/15 鉾をひく牛をいたわるまつり哉(明治21年、1888年)

 今日は5月15日、月曜日です。小雨がずっと降っています。昨日は徹夜をして、今朝の4時半に床に入り、8時半に起きました。今日の予定は、11時にアウガで山口さんに会い、午後1時半に市民ホールで映画上映会の打合せです。あとは新報の配布の事務作業です。

 今日の子規歳時は、「鉾をひく牛をいたわるまつり哉(明治21年1888年)」です。 ここで、祭は夏の季語。鉾をひくは、ふだんは農耕につかわれる牛が祭りの鉾ひきにかりだされたのを労わって詠んだ句だと思います。

 今日の魯迅箴言は、箴言365-26「予言者、すなわち、先覚者は、」です。

 豫言者,

    即先觉,

    每为故国所不容,

    也每受同时人的迫害,

    大人物也时常这样。

    他要得人们的恭维赞叹时,

    必须死掉,

    或者不在面前。

 預言者

 すなわち先覚者は、

 いつも故国に受け入れられないし、

 またいつも同時代の人から迫害を受ける。

 大人物も同様だ。

 彼が人から賞賛を得るときは、

 必らず死んでしまっているか、

 あるいは沈黙しているか、

 あるいは目の前にいないかである。