魯迅箴言日記 2023/05/14 蓁々たる桃の若葉や君娶る(明治29年、1996年)

 今日は5月14日、日曜日です。今朝は4時半に起き、資料整理、日程調整、小水力協議会の出席報告、県環境政策課への半期の活動報告をメールでしているうちに朝食の時間となってしまいました。朝食をとり、入浴して、9時から12時半まで日課をやり、昼食休憩後、川柳の勉強と作句を4時までやり、4時過ぎに母の日のプレゼントをもって三男一家が来たのではま寿司へ行きました。6時過ぎに帰宅して、ブログの更新をしたあと、小説の執筆に取り掛かりました。

 今日の子規歳時は、「蓁々たる桃の若葉や君娶る(明治29年、1996年)」です。

 ここで、君とは漱石のことです。漱石の新婚に寄せた句です。蓁蓁とは草木がよくしげっているさまのことです。桃の若葉で、若々しい花嫁の表情さえ思い浮かべることができます。

 今日の魯迅箴言は、箴言365-25「私は、いまわかった」です。

 我现在觉得

    世上是仿佛没有所谓闲事的,

    有人来管,

    便都和自己有点关系;

    即便是爱人类,

    也因为自己是人。

 私はいまわかった。

 この世には、いわゆるどうでもいいことなどはなくて、

 人と関係があれば、

 それは自分自身とも関係があり、

 人類にとっても関係がある。

 つまり、それは自分自身に関係しているからです。