魯迅箴言日記 2023/07/08 禅寺に何もなきこそ涼しけれ(明治29年、1896年)

 今日は7月8日、土曜日です。昨日は、久須志神社の宵宮でした。ものすごい人だかりでした。昨夜は山中君から電話があり、一年ぶりで天ぷら堤で会いました。彼は昨年末に心臓の病で10kgも痩せ、ずっと静養していたとのこと、昨夜は酒を飲まずに話をしました。今日は三男のところの隼君の誕生日、お祝いに招かれ、輝代さんと二人ででかけてきました。明日は、岸柳さんの通夜です。暗い話題が続いています。先日も、知人で元市役所職員の木村俊也さんが五月末に亡くなったことを池田さんか知らされびっくりしたばかりです。木村さん夫妻と昨年のクリスマスイブの日、居酒屋ぽうで会ったときには元気にワインを飲んでいただけに、人の命はわからないものだと感じました。

 今日の子規歳時は、「禅寺に何もなきこそ涼しけれ(明治29年、1896年)」です。

 7/7 舟一つ虹をくぐって帰りけり (1890年)

 7/6 政宗の眼もあらん土用干 (1893年

 7/5 田から田へうれしさうなる水の音 (1893年

 7/4 夕立や殺生石のあたりより (1893年

 7/3 みちのくへ涼みに行くや下駄はいて (1893年

 7/2 松島の風に吹かれん単もの (1893年

 7/1 草枕の我にこぼれよ夏の星 (1893年

 6/30 蝸牛の頭もたげしにも似たり (1902年)

 6/29 川セミノ来ル柳ヲ愛スカナ (1902年)

 6/28 用ゐざる抱籠邪魔な置処 (1900年)