魯迅箴言日記 2023/09/23 ある僧の月も待たずに帰りけり(明治31年、1898年)

 今日は9月23日、今日は参議院議員の大椿ゆう子さんの運転手をします。青森空港10時半着の飛行機を出迎え、街宣や国会報告のあと、4時半に空港へ送り届ける仕事です。大椿さんはとてもチャーミングな女性でした。5時半に帰宅し、日課をやり、夜に大久に行って夜食をとりました。

 今日の子規歳時は、「ある僧の月も待たずに帰りけり(明治31年、1898年)」です。

 俳句の世界では、「雪月花」が三大季題だそうです。日本人の美意識の象徴ともいえる魅力的な季語です。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-47「我々の知識には限りがあるから、」です。

 我们的智识很有限,谁都愿意听听名人的指点,

    但这时就来了一个问题;

    听博识家的话好,还是听专门家的话好呢?

    解答似乎很容易;都好。自然都好;

    但我由历听了两家的种种指点以后,

    却觉得必须有相当的警戒。

    因为是;博识家的话多浅,专门家的话多悖的。

 我々の知識には限りがあるから、誰しも名の知れた人の教えに耳を傾ける。

 しかしここに、一つの問題が生じる……

 博識家と専門家、どちらの話を聞くのがよいのか?

 答えは簡単そうにみえる――どちらもよい。

 むろん、どちらもよいのだが、

 私は双方からいくつかの教えを聞いた経験から、

 それ相応の心構えが必要だと思う。

 なぜなら、博識家の話は底の浅いことが多く、

 専門家の話は独りよがりが多いからだ。