魯迅箴言日記 2023/10/02 虫売の月なき方へ帰りけり(明治25年、1892年)

 今日は10月2日、月曜日です。今日は昨日の川柳大会の惨敗のあとをうけて、新報と北狄の配布の準備をします。それに、日課をやり、ブログの更新もいつものようにやらねばなりません。平常心で臨まねばなりません。文学の道は厳しく、そして楽しいのですから、結果に一喜一憂する必要はありません。

 今日の子規歳時は、「虫売の月なき方へ帰りけり(明治25年、1892年)」です。

 かつて、虫売は縁日の境内や街道で、鈴虫や松虫などを売っていたという。いまは見かけることはない。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-58「中国の昔の人は、いつもその「全体」を手に入れたがった。」です。

 中国古人,常欲得其「全」,

    就是制妇女用的「乌鸡白风丸」,

    也将全鸡连毛血都收在丸药理,

    方法固然可笑,主意却是不错的。

    删夷枝叶的人,决定得不到花果。

 中国の昔の人は、いつもその「全体」を手に入れたがった。

 女性用の「烏鶏白鳳丸」を作るにしても、

 鶏まるごと、毛や血までもすべて丸薬にいれる。

 やり方は笑うべきだが、主意としては悪くない。

 枝葉を刈り落としてしまう人は、花も実も得られはしない。