人間の特徴は目を描けばいい

  
今日の魯迅箴言は、第6章「読み・書き・考え・行動する」の第109節「忘谁说的了」(誰が言ったか忘れてしまったが)である
 「忘谁说的了,
   之是,要极省的画出一个人的特点,
    最好是画他的眼睛。
 我以为这话是极的,
    倘若画了全副的头发,即使得逼真,
    也毫无意思。」(『南腔北調集』「私はいかにして、小説を書き始めたか」1933年、魯迅52)
    Wàngjì shì shuí shuō dele,
Zǒngzhī shì, yào jí shěng jiǎn de huà chū yīgè rén de tèdiǎn,
Zuì hǎo shì huà tā de yǎnjīng.
Wǒ yǐwéi zhè huà shì jí duì de,
Tǎngruò huàle quánfù de tóufǎ, jíshǐ xì de bīzhēn,
Yě háo wú yìsi
 これの日本語訳はこうだ。
 「誰が言ったか忘れてしまったが、 
  つまり、極力筆を省いて一人の人間の特徴を描くには、
  彼の眼を描けばいい、と。
  これは的を射て妙である。
  頭髪のすべてを描いたところで、細かさは真に迫るにしても、
  まったく意味がない。」
 
 ここで、魯迅は一人の人間の特徴を描くには、その人間の眼を描けばいいのだと言っている。
 今日の語句・語彙はこうだ。
  忘れる;忘 wangおのずと記憶がなくなる)
  記す; ji書きつける。記録する)
  誰; shuiっきりとは知らない人、また名を知らない人を指したり問うたりするのに使う語)
  言ったか;的了 shuidele(言ったのか)
  つまり;之是 zongzhishi結局。つまるところ。要するに)
  極力;要极 yaoji力の限りをつくすさま。精一杯)
  倹約する;省 shengjian費用を切り詰めて無駄遣いしないこと。節約)
  特徴;特点 tedian他と異なって特別に目立つしるし。特色)
  描く;画 hua文章や音楽などに表現する。描写する)
  眼;眼晴 yanjingひとみ。くろめ。瞳子。また、めだま)
  と思う;以 yiwei(~だと思う。~だと思いこむ)
  しかも;倘若 changruoなおその上に)
  頭髪;头发 toufaあたまの毛。かみのけ)
  全部;全副 quanfuすっかり集めて考えたすべての範囲。全体)
 細かさ; xi小さいところまでゆきとどいている。綿密である)
  真;真 zhenうそ・いつわりのないこと。まこと。ほんとう。ほんもの)
  迫る;逼 biちかづく。ちかよる)
  しても;即使 jishi(そうだとしても)
  少しもない;也毫无 yehaowu(ちっとも、まったくない)
  意味;意思 yisiある表現に対応し、それによって指示される内容)