満州とは、ああ満州、あれも満洲、これも満州

イメージ 1  満州とは、広辞苑によれば「まんしゅう【満州満洲】‥シウ
中国の東北一帯の俗称。もと民族名。行政上は東北三省(遼寧吉林黒竜江)・内蒙古自治区にわたり、中国人自身は一般に東北と呼ぶ。」とある。インターネットのウィキペディアでは「満州満洲、まんしゅう、拼音;Manzou)は、中国東北部およびロシア沿岸州を含めた北東アジアの特定地域を指す地域名。高句麗渤海を建国したツングース系民族の故地でもあり、金朝、後金、清朝を建国した満洲民族の故地でもある。『満洲』という言葉は、もともとは12世紀にはおもに民族名を指していた。しかし、19世紀の日本では満州満州国とは地域をさし、民族は『満州族』と呼ぶようになった。日本で満州と呼ばれる地域は、満州国の建てられた地域全体を意識することが多く、おおよそ、中華人民共和国の『東北部』と呼ばれる、現在の遼寧省吉林省黒竜江省の3省と、内モンゴル自治区の東部を範囲とする。この地域は、北と東はアムール川黒竜江)、ウスリー川を隔ててロシアの東シベリア地方に接し、南は鴨緑江を隔てて朝鮮半島と接し、西は大興安嶺山脈を隔ててモンゴル高原内モンゴル自治区)と接している。南西では万里の長城の東端にあたる山海関が、華北との間を隔てている」と解説している。
 とくに、広義の満洲としては、モンゴル民族の居住地域であるが満州国に属していた内モンゴル自治区の東部、「東四盟」と呼ばれる赤峰市、通遼市、ホロンバイル市、興安盟が含まれることが多い、といわれている。
 また、満州の本来の表記は満洲である(満州という表記が行われるのは、日本の第二次世界大戦後の漢字制限により「洲」の字が当用漢字表外れたためである。なお、「洲」と「州」は旧字・新字の関係ではなく、同音類字である)。また、満洲は本来、地名ではなく民族名である。したがって、満州の「州」は世界各国に見られる地域行政区分としての「州」ではないことに注意を要する。漢字表記では五行説の「水」徳を意識して、民族名および王朝名である「満」「洲」「清」いずれもさんずいの字が選ばれた。
 現在の中華人民共和国では地域名称として「満洲」を使うことは避けられ、かわりに「中国東北部」が使われている。これは中国における歴史に対する公式見解で、満洲国の存在を認めていないため、また満洲の地を太古から不可分の中華民族固有の地と主張するためである。そのため今日の中国では、20世紀の満洲国を清朝の前身である満洲国を詐称していると看做して、「偽満洲国」の呼び方以外は認めていない。ただし、現在でも、満洲里のように一部の地域名で使われている。民族名としては旧来から「満族」と呼称している。
 中国における満洲にかかわる歴史を通して日本との関係を考察することも面白い。
 私が今回の旅で訪問した都市をみても歴然としている。紀元前37年668年まで存在した高句麗における都城があった集安、満洲族が後金を起こして統一して清と国号を改めたときの最初の都の瀋陽瀋陽故宮)、そして中国全土を満洲族として統一し清朝をうちたてて都を瀋陽から遷都した北京、清朝最後の皇帝(宣統帝)が退位するとその溥儀を皇帝(元首)に日本によって建国された満州国の首府をおいた長春(新京)、南満州鉄道の本社があった大連、日露戦争の主戦場となった旅順(203高地)などなどである。
 写真は、旅順にある博物館前の写真である。