巧言令色と政治家

 孔子論語の学而第一の三に「巧言令色」の節がある。
 「子曰、巧言令色、鮮矣仁、→子の曰わく、巧言令色、鮮なし仁」
 日本語に訳すとこうである。
 孔子先生がいわれた。
 「ことば上手の顔よしでは、ほとんど無いものだよ、仁の徳は。」
 ここで、仁とは孔子の唱えた最高の徳目。人間の自然な愛情に基づいたまごころの徳である。もっと簡単にいえば、仁とは愛であり、思いやりでもある。
 和辻哲郎によれば、「孝悌は道(すんわち仁)の本(基本)であるが、その孝悌を実現するに当たって、単に外形的に言葉や表情でそれを現したのではだめである。父母兄弟に対し衷心からの愛がなければ孝悌ではない。相手を喜ばせる言葉を使い、相手を喜ばせる表情をする人は、かえって誠実な愛において乏しいのである。重大なのは誠の愛であって外形ではない。そこで道(すなわち仁)の実現を外形的でなく内的な問題とする心得が必要になる。」
 とある。
 言葉巧みで、イケメンの政治家はたしかに票をたくさん集めるかもしれない。しかし、本来の政治家はそれではだめなのだと孔子は言う。そういう者ほど、薄情であり、誠実な愛情に乏しいのだというのだ。民に対して、愛情があって、思いやりがなければ、立派な政治家とはいえない、と孔子は二千五百年前に語っている。
 孔子のこの言葉は、単に家庭生活のことをいっているのではなく、治国(政治)のことを指しているのだ。
 金正日総書記の死去が報じられた2011年12月19日、橋下大阪新市長が初登庁し、事務引き継ぎをした。彼こそ巧言令色そのものだと思う。大阪市民の民意が彼を市長におしたてたのはわかる。しかし、彼に仁が備わっているかどうかは今後をみないと何とも言えないが、孔子の説があてはまるような気がする。
 しかし、万一、橋下市長がまさに、「巧言令色、鮮矣仁」であった場合に、その悪政のつけは大阪市民が受けることになる。
 大阪市役所から福井県の高浜・大飯原発は90~100キロ圏内であり、美浜・敦賀原発も100~125キロの範囲に位置している。3・11原発事故後のいまも、大飯原発2号と高浜原発2号・3号は運転中であり、しかも高浜3号はプルトニウムのMOX燃料を装荷中でもある。これらについてどう対処するのかの明確な発言は聞けなかった。このうち大飯2号は運転開始後31年、高浜2号は35年の老朽原発なのだ。非常時の制御が難しいMOX燃料装荷の3号にしたって26年経年している。
 もし、若狭湾震度7を超える大地震が直撃した場合、それと震度6強くらいの余震が連続して起こった場合、加圧式原子炉の圧力容器の復水器が破断し、冷却水喪失事故が発生しないとも限らないのだ。
 福島原発事故のような過酷事故が稼働中の大飯・高浜原発で起こらないという保証はあるのだろうか。そのことに対する、政治家としての橋下市長の明快な回答を聞きたいものだ。
 同じことは、青森県の三村知事にも言える。福島原発事故による風評被害青森県に及んでいないのだろうか。リンゴの輸出はどうなのか。福島原発事故の原因究明と収束がおぼつかないなか、県内原子力施設の安全検証委員会の報告を鵜呑みにして事業再開のゴーサインを事業者に転嫁していいのだろうか。そんなことで、県民の安全・安心をどうして守れるのだろうか。もう少し、慎重にことを進めるべきではないだろうか。
 孔子の「巧言令色、鮮矣仁」の言葉で、たくさんのことを学んだ。