論語の「温故知新」について

 孔子論語に、為政第二の第十一章に「温故知新」という章がある。原文、読み下し文、金谷訳の順で示す。
 「子日,温故而知新,可以为师矣」
 「子の曰わく、故きを温めて新しきを知る、以て師と為るべし。」
 【先生がいわれた、「古いことに習熟してさらに新しいこともわきまえてゆくなら、人の師になれる。」】
 ここで、温は「あたためて」とあるが、他の注では「たずねて」と読んでいる。
 また宇野哲人の新釈では、「この章では、人の師たる道を説いた」ものとし、「ただ聞いたことを覚えているだけでは、知る所に限りがあるから、人の師となって人の求めに応ずることはできない」とし、「ふるく学んだ所を習熟して、新たに悟る所があるようになれば、学んだ所の事が我が物となって、無窮の事柄に応ずることができるから、人の師となる資格がある」というのである。
 これが、人の師となるには、「温故知新」でなければならないと孔子はいうのである。