孔子が周に遊学し、老子に学ぶ

史記」の「孔子世家」に孔子が魯の南宮敬叔と周に遊学した際に老子に会ったとされる文章がある。
 魯の南宮敬叔、魯の君に言ひて曰く、「請ふ、孔子と周に適くを。」魯の君、これに與ふること、一乘車、兩馬、一豎子(下僕一人)。倶に周に適きて禮を問ふ。蓋し、老子雲に見(まみ)ゆ。辭して去る。而して老子、これを送りて曰く、「吾は聞く、『富貴なる者は人を送るに財を以てす、仁人なる者は人を送るに言を以てす。』吾、富貴に能はず、仁人の號を竊(ぬす)みて、子を送るに言を以てし、曰ふ『聰明にして深く察し、而して死に近づくは、好んで人を議(そし)る者なり。博く辯じて廣大にして其の身を危くするは、人の惡を發(あば)く者なり。人の子たる者は、以て己を有すること毋(な)かれ。人の臣たる者は、以て己を有すること毋(な)かれ。』孔子、周より魯に反り、弟子、稍(ようやく)益(ふ)へ進めり。
老子は、学を絶てば憂いなしというも、無為自然に還る為に、万巻の書を読むという。
 老子は、孔子に、『聡明深察なれども死に近き者は、人を議するを好むものなり。博弁広大なれどその身を危うくする者は、人の悪を暴くものなり。人の子たる者は、もって己を有することなかれ。』(史記)とも語ったとされているが、これの通訳は「聡明で深く事理を察していながら、死ぬような目に遇う者は、他人を非難することが好きなものだ。非常に能弁でよく物事にゆきわたっていながら、その身を危くする者は、他人の悪をあばくものだ。人の子たるものは、我をもっていてはいけないし、人臣たるものも、我をもってはいけない」ということである。
 本当に、現代を生きる私たちにとっても耳が痛い言葉である。これは、無理をせず、己に留まらず、無為とそれをして行えば危うくならずにすむ、ということを老子孔子に諭しているのであり、老子特有の逆説でもあるのだ。