喪家の狗

 衛の国を出て、宋に国に行き、そこでも追われた孔子一門は、つぎに鄭の国にやってくる。鄭国はその昔、子産という名宰相がいて徳政を行っていたが、子産の死後30年がたち、弱国となっていた。
 その鄭国にあって、孔子は弟子たちとはぐれてしまう。そのくだりを「史記」には次のように記されている。
ー「史記孔子世記;
 孔子、鄭(てい)に適く。弟子と相ひ失ふ。孔子、獨り郭の東門に立つ。鄭の人、或(る人)、子貢に謂ひて曰く、「東門に人有り、其の顙(ひたい)堯(ぎょう)に似、其の項(うなじ)皐陶(こうよう)に類し、其の肩子産(しさん)に類す。然るに、要(こし)より以下は、禹(う)に三寸及ばず。累累(るいるい:疲れ果てたさま)喪家の狗(いぬ)の若(ごと)し。」子貢、實を以て孔子に告ぐ。孔子、欣然として(うれしげに)笑ひて曰く、「形状(聖人の姿形には)、末だなり(達していない)。而して喪家之狗(主人を失った犬)に似ると謂ふは、然らむ哉(そのとうり)、然らむ哉。」