今日の論語一日一章「朽木、不可雕也。糞土之牆、不可朽也。於予與何誅。」

 今日の論語一日一章は、第5篇「公冶長第五」の第9章「朽木、不可雕也。糞土之牆、不可朽也。於予與何誅。」(朽木は雕るべからず。糞土の牆は朽すべからず。)です。
 これの、漢文原文はこうです。
 「宰予晝寝。子曰、朽木、不可雕也。糞土之牆、不可朽也。於予與何誅。子曰、始吾於人也、聴其言而信其行。今吾於人也。聴其言而觀其行。於予與改是。」
 これの読み下し文はこうなります。
 「宰予昼寝ぬ。子曰く、『朽木は雕(あ)るべからず。糞土の牆(しょう)は朽(お)すべからず』子曰く、『始め吾、人に於けるや、其の言を聴いて其の行ひを信ぜり、今吾、人に於けるや、其の言を聴いて其の行ひを観る。予に於いてか是を改む。』」
 また、中国語簡体表記ではこうです。
 「宰予昼寝。子曰,朽木,不可雕也。粪土之牆,不可杇也。於予与何诛。子曰,始吾於人也,听其言而信其行。今吾於人也。听其言而观其行。於予与改是。」
 この章の日本語訳はこうなります。
 「宰予がある日昼寝をした。学に志す者は寸陰を惜しんで勉強すべきである。しかるに昼寝をするとはこの上もない怠惰者である。孔子がこれを責めて曰われるのには、『木の堅いのには雕刻することができるけれども、朽ちた木には雕刻はできぬ。牆の固いのには塗って飾ることができるけれども路上の乾いて湿気のない土で築いた牆は下地がぼろぼろしていて塗って飾ることができない。宰予は怠惰者で、教えを施す素地がなく、朽ちた木や路傍の乾いて湿気のない土で築いた牆と同様なものであるから、いかに宰予を責めても道に進ませることはできないから、わしは宰予に対してこれを責めやしない。わしはむかしは人に対して、その言う所を聴くとその行う所もその通りだと信じて疑わなかったものだが、今から後は、わしは人に対して、その言う所を聴いても、直ちにその行う所もその通りだ信じないで、必ずその行う所を観てからこれを信ずることにする。宰予で失敗したから、人に対する態度を改めるのである。』と。」
 ここで、今日の語句・語彙の注釈はこうです。
 朽木;腐った木のことです。
 雕(ゑ)る;彫刻することをいいます。
 糞土;路傍の乾いて湿気のない土のことです。
 杇(お)す;杇はこてのことです。こてで塗って美しくすることです。
 予に於いてか(於予與);與は乎の字と同じように読みます。
 誅(せ)む;責めることです。
 子曰く、始め吾、人に於けるや;ここの「子曰はく」は詞の端を改めたものです。ここで、「始め」は往日の意味です。
 是を改む;是は言を聴いて行いを信ずることを指しています。
 この章は、孔子が門人の怠惰を戒めて、その自ら改めんことを欲したものです。
 宰予は孔子の門人中で言語に巧みなので著名な人です。しかし、言語の巧みなほどに実行の出来ていない人であったから、孔子がこれを改めて行いにつとめるようにさせたものです。