3月1日、宇治川やほつりほつりと春の雨

 今日はいよいよ3月1日、北狄374号の締切日です。「駅前まんぷく食堂」(36枚)を書き上げて、朝8時に編集長のところへ提稿しました。あとは、9時10分のバスに乗って、新町通りまで出て、そこから浜田循環バスに乗り換えてユウネットセレモニーホールに向かうのです。11時から三浦賢伍さんの葬式、百か日法要、法事まで続いて、三浦さんの葬儀も一応終えることになります。29日の骨あげの際の真っ白な賢伍さんの頭の骨が眼に焼きついています。
 イトーヨーカ堂前のバス停を降りると、3月1日なのに冷たい雪まじりの風が強く吹いています。そういえば、昨夜半から今朝方まで激しい風と吹雪が窓をたたいて眠れませんでした。賢伍さんが吠えているのだと思いました。
 葬儀で岩崎さんと会いました。彼の父が亡くなった時からですから、4年ぶりくらいです。彼はすこぶる元気そうでした。震災前に倒れた母の介護をしているのですから立派なものです。
 子規は茶の湯の形式的ないやみを好まなかったようですが、茶を好む伊藤佐千夫のために茶道具一式をそろえ、彼の何百回の訪問に対し、一度たりとも茶と菓子を欠かしたことはなかったそうです。
 今日の青森は、まさに春の狂乱のようでした。ときどき青森の自然は、春を忘れさせるように真冬日を思い出せて、回り道をへて足取りをすすめるようなのです。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言234です。
 至于幼稚,尤其没有什么可羞,正如孩子对于老人,毫没有什么可羞一样。幼稚是会生长,会成熟的,只不要衰老,腐败,就好。
 Zhìyú yòuzhì, yóuqí méiyǒu shé me kě xiū, zhèngrú háizi duìyú lǎorén, háo méiyǒu shé me kě xiū yīyàng. Yòuzhì shì huì shēngzhǎng, huì chéngshú de, zhǐ bùyào shuāilǎo, fǔbài, jiù hǎo.
 「幼稚は何ら恥ずべきことではありません。ちょうど子どもが老人に対して、なんら恥じることがないのと同じです。幼稚なら、成長し成熟していくことができます。ただ、老いぼれ腐敗しなければ、それでいいのです。それを欲しいといわないでおいて、何とかそのいいわけをするというようなことを、君子は憎む。自分の聞くところでは『国を治め家を治める者は、人民の少ないことを心配しないで取り扱いの公平でないことを心配し、貧しいことを心配しないで人心の安定しないことを心配する。』というが、つまり公平であれば貧しいということもなくなり、仲よく和合すれば少ないということもなくなり、安定すれば危険もなくなるものだ。そもそもこういう次第だから、そこで遠方の人が従わない場合は、武には頼らないで文の徳を修めてそれをなつけ、なつけてからそれを安定させるのだが、今、由(子路)と求とはあの方(李氏)を補佐していながら、遠方の人が従わないでいるのになつけることもできず、国がばらばらに分かれているのに守ることすらできない。それでいて国内で戦争を起こそうと企てている。私は恐れるが、季孫の心配事は顓臾にはなくて、短い塀の内が輪にあるだろう。

 今日の論語一日一章は、論語16-1(論語巻第八 季氏第十六篇 1章)です。
 李氏將伐顓臾、冉有季路見於孔子曰、季氏將有事於顓臾、孔子曰、求、無乃爾是過與、夫顓臾、昔者先王以爲東蒙主、且在邦域之中矣、是社稷之臣也、何以爲伐也冉有曰、夫子欲之、吾二臣者、皆不欲也、孔子曰、求、周任有言、曰、陳力就列、不能者止、危而不持、顛而不扶、則將焉用彼相矣、且爾言過矣、虎兕出於押、龜玉毀於櫝中、是誰之過興、冉有曰、今夫顓臾固而近於費、今不取、後世必爲子孫憂、孔子曰、求、君子疾夫舎曰欲之而必更爲之辭、丘也聞、有國有家者、不患不均、不患貧而患不安、蓋均無貧、和無寡、安無傾、夫如是、故遠人不服、則修文徳以來之、既來之則安之、今由興求也、相夫子、遠人不服、而不能來也、邦分崩離析而不能守也、而謀動干戈於邦内、吾恐季孫之憂、不在於顓臾、而在蕭牆之内也、
 Lǐ shì jiāng fá zhuān yú, rǎnyǒujì lù jiànyú kǒngzǐ yuē, jì shì jiāng yǒushì yú zhuān yú, kǒngzǐ yuē, qiú, wú nǎi'ěr shìguò yǔ, fū zhuān yú, xī zhě xiānwáng yǐwèi dōng méng zhǔ, qiě zài bāng yù zhī zhōng yǐ, shì shèjì zhī chén yě, hé yǐwèi fá yě rǎn yǒu yuē, fūzǐ yù zhī, wú èr chén zhě, jiē bù yù yě, kǒngzǐ yuē, qiú, zhōu rèn yǒu yán, yuē, chén lì jiù liè, bùnéng zhě zhǐ, wēi ér bù chí, diān ér bùfú, zé jiāng yān yòng bǐ xiāng yǐ, qiě ěr yánguò yǐ, hǔ sì chū yú yā, guī yù huǐ yú dú zhōng, shì shuí zhīguò xìng, rǎn yǒu yuē, jīn fū zhuān yú gù ér jìn yú fèi, jīn bù qǔ, hòushì bì wèi zǐsūn yōu, kǒngzǐ yuē, qiú, jūnzǐ jí fū she yuē yù zhī ér bì gèng wèi zhī cí, qiū yě wén, yǒu guóyǒu jiā zhě, bù huàn bù jūn, bù huàn pín ér huàn bù'ān, gài jūn wú pín, hé wú guǎ, ān wú qīng, fū rúshì, gù yuǎn rén bùfú, zé xiū wéndé yǐlái zhī, jì lái zhī zé ānzhī, jīn yóu xìng qiú yě, xiàng fū zi, yuǎn rén bù fú, ér bùnéng lái yě, bāng fēnbēnglíxī ér bùnéng shǒuyě, ér móu dòng gāngē yú bāng nèi, wú kǒng jì sūn zhī yōu, bù zàiyú zhuān yú, ér zài xiāoqiáng zhī nèi yě,
 (李氏将伐颛臾,冉有李路见於孔子曰,李氏将有事於颛臾,孔子曰,求,无乃尔是过与,夫颛臾,昔者先王以为东蒙主,且在邦域之中矣,是社稷之臣也,何以为伐也,冉有曰,夫子欲之,吾二臣者,皆不欲也,孔子曰,求,周任有言,曰,陈力就列,不能者止,危而不持,颠而不扶,则将焉用彼相矣,且尔言过矣,虎兕出於押,龟玉毁於椟中,是谁之过与,冉有曰,今夫颛臾固而近於费,今不取,后世必为子孙憂,孔子曰,求,君子疾夫舍曰欲之而比更为之辞,丘也闻,有国有家者,不患贫而患不均,不患贫而患安,盖均无贫,和无寡,安无倾,夫如是,故远人不服,则修文德以来之,既来之则安之,今由与求也,相夫子,远人不服,而不能来也,邦分崩离析而不能守也,而谋动于戈於邦内,吾恐李孙之憂,不在於颛臾,而在萧牆之内也,)
 「李氏、将に顓臾を伐たんとす。冉有・季路、孔子に見えて曰わく、季氏、将に顓臾に事あらんとす。孔子の曰わく、求よ、乃ち爾是れ過てること無からんや。夫れ顓臾は、昔者先王以て東蒙の主と為し、且つ邦域の中に在り。是れ社稷の臣なり。何を以てか伐つことを為さん。冉有が曰わく、夫の子これを欲す。吾れニ臣は皆欲せざるなり。孔子の曰わく、求よ、周任に言あり曰わく、力を陳べて列に就き、能わざれば止むと。危うくして持せず、顛って扶けずんば、則ち将た焉んぞ彼の相を用いん。且つ爾の言は過てり。虎兕、柙より出で、亀玉、櫝中に毀るれば、是れ誰の過ちぞや。冉有が曰わく、今夫れ顓臾は固くして費に近し。今取らずんば、後世必ず子孫の憂いと為らん。孔子の曰わく、求よ、君子は夫のこれを欲すと曰うを舎いて必ずこれが辞を為すことを疾む。丘や聞く、国を有ち家を有つ者は寡なきを患えずして均しからざるを患え、貧しきを患えずして安からざるを患うと。蓋し均しければ貧しきこと無く、和すれば寡なきこと無く、安ければ傾くこと無し。夫れ是くの如し、故に遠人服せざれば則ち文徳を修めて以てこれを来たし、既にこれを来たせば則ちこれを安んず。今、由と求とは夫の子を相け、遠人服せざれども来たすこと能わず、邦分崩離析すれども守ること能わず、而して干戈を邦内に動かさんことを謀る。吾れ恐る、季孫の憂いは顓臾に在らずして蕭牆の内に在らんことを。」
 (魯の李氏が顓臾の国を攻め取ろうとしていた。李氏に仕えていた冉有と季路(子路)が孔子にお目にかかって、「季氏が顓臾に対して事を起こそうとしています。」と申し上げた。孔子はいわれた、「求(冉有)よ。もしやお前がまちがっているのじゃないだろうか。(賛成したりすすめたりしているのではないか。)そもそも顓臾の国は、むかし天子が東蒙の山の祭りの主宰者と定めていた由緒の正しい国柄であるうえに、魯の属国として同じ国境の中にあるのだから、これは魯の国譜代の家来だ。どうして攻めたりするのだ。」そこで冉有が「あの方(李氏)がそうしたいというだけで、わたしたち二人はどちらもしたくないのですよ。」というと、孔子はいわれた、「求よ、むかしの立派な記録管であったあの周任のことばに『力いっぱい職務にあたり、できないときは辞職する。』というのがあるが、危なくても支えることをせず、ころんでも助けることをしないというのでは、いったいあの助け役も何の必要があろう。それにお前のことばは間違っている。虎や野牛が檻から逃げ出したり、亀の甲や宝石が箱の中でこわれたりしたら、これはだれのあやまちかね。」冉有がいった、「しかし、先生、今あの顓臾は堅固な備えで李氏の領地である費の町の近くにおりますから、今のうちに取っておかないと後世にはきっと子孫の心配事となりましょう。」孔子はいわれた、「求よ。欲しいくせに)