4月4日、なぐさみや花はなけれど松葉関

 11時にジャンバーを着ないで柳川事務所へ出かけましたが、とても風が冷たかったです。新町から柳川まで自転車で10分で着きましたが、ハンドルを握る手にも悴みそうでした。
 
 今日の魯迅箴言365日は、箴言270です。
 所谓”便当”,并不是偷懒,是说在同一时间内,可以由此做成较多的事情。这就是节省时间,也就是使一个人的有限的生命,更加有效,而也即等于延长了人的生命。
  Suǒwèi” biàndang”, bìng bùshì tōulǎn, shì shuō zài tóngyī shíjiān nèi, kěyǐ yóu cǐ zuò chéng jiào duō de shìqíng. Zhè jiùshì jiéshěng shíjiān, yě jiùshì shǐ yīgè rén de yǒuxiàn de shēngmìng, gèngjiā yǒuxiào, ér yě jí děngyú yánchángle rén de shēngmìng.
 「『便利』というのは、決してずるけることではなくて、同一の時間内に、そのお陰でもっとたくさんのことをなしうるということである。これはつまり時間を節約することであり、また一人の限りある生命をさらに有効にすることでもあり、つまり、人の生命を延ばすのに等しいことでもある。」

 今日の論語一日一章は、論語17-21(論語巻第九 陽貨第十七篇 21章)です。
 宰我問、三年之喪期已久矣、君子三年爲禮、禮必壊、三年不爲樂、樂必崩、舊穀既升、鐕燧改火、期可已矣、子曰、食夫稲、衣夫錦、於女安乎、曰、安、女安則爲之、夫君子之居喪、食旨不甘、聞樂不樂、居處不安、故不爲也、今女安則爲之、宰我出、子曰、予之不仁也、子生三年、然後免於父母之懐、夫三年之喪、天下之通喪也、予也有三年之愛於其父母乎、
 Zǎi wǒ wèn, sān nián zhī sàng qí yǐ jiǔ yǐ, jūnzǐ sān nián wèi lǐ, lǐ bì huài, sān nián bù wèi lè, lè bì bēng, jiù gǔ jì shēng, zān suì gǎi huǒ, qī kě yǐ yǐ, zǐ yuē, shí fū dào, yī fū jǐn, yú nǚ ānhū, yuē, ān, nǚ ānzé wèi zhī, fū jūnzǐ zhī jūsāng, shí zhǐ bùgān, wén lè bù lè, jū chù bù'ān, gù bù wèi yě, jīn nǚ ānzé wèi zhī, zǎi wǒ chū, zǐ yuē, yǔ zhī bùrén yě, zǐ shēng sān nián, ránhòu miǎn yú fùmǔ zhī huái, fū sān nián zhī sàng, tiānxià zhī tōng sàng yě, yǔ yěyǒu sān nián zhī ài yú qí fùmǔ hū,
 宰我问,三年之丧期已久矣,君子三年为礼,礼必坏,三年不为乐,乐必崩,旧榖既升,鐕燧改火,期可已矣,子曰,食夫稻,衣夫锦,於女安乎,曰,安,女安则为之,夫君子之居丧,食旨不甘,闻乐不乐,居处不安,故不为也,今女安则为之,宰我出,子曰,予之不仁也,子生三年,然后免於父母之懐,夫三年之丧,天下之通丧也,予也有三年之爱於其父母乎,)
 「宰我問う、三年の喪は期にして已に久し。君子三年礼を為さずんば、礼必らず壊れん。三年楽を為さずんば、楽必らず崩れん。旧穀既に没きて新穀既に升る、燧を鐕りtれ火を改む。期にして已むべし。子曰わく、夫の稲を食らい、夫の錦を衣る、女に於いて安きか。曰わく、安し。女安くんば則ちこれを為せ。夫れ君子の喪に居る、旨きを食らうも甘からず、楽を聞くも楽しからず、居処安からず、故に為さざるなり。今女安くんば則ちこれを為せ。宰我出ず。子曰わく、予の不仁なるや。子生まれて三年、然る後に父母の懐を免る。夫れ三年の喪は天下の通喪なり。予や、其の父母に三年の愛あらんか。
 (宰我が「三年の喪は、まる一年でも十分の長さです。君子が三年も礼を修めなければ、礼はきっとすたれましょう。三年も楽を修めなければ、楽はきっとだめになりましょう。古い穀物が無くなって新しい穀物が実り、火取りの木をこすって火を作り変えるとおたずねした。孔子が「あのコメを食べ、あの錦を着るということが、お前にとってなんともないのか」といわれると、「何ともありません」と答えた。「お前が何ともないならそうしなさい。一体、君子が喪に服しているときというのは、うまいものを食べてもうまくないし、音楽を聞いても楽しくないし、住居に居ても落ち着かない、だからそうしないのだ。だが、お前が何ともないのならそうしなさい」宰我が退出すると、孔子は云われた、「予(宰我)の不仁なことよ。子どもは生まれると三年たってやっと父母の懐から離れる。あの三年の喪というのはそれを考えあわせて定めたもので、世界じゅうのだれもが行なう喪である。予にしてもその父母から三年の愛を受けたであろうに。」と。