今日は2月15日、日曜日です。

 今日は2月15日、日曜日です。一日一日、五徳(温良恭倹譲)を胸にきざみながら大事に注意深く生きているつもりですが、一日がどんどん遠ざかっていきます。

 さて、今日の子規歳時は、

 なにがしの忌日ぞけふは冴え返れ (1896年、明治29年2月15日)

 2月15日(昭和21年)は村上霽月(さいげつ)の忌日です。彼は子規より2歳年少で、一高中退後は郷里松山市西垣生にあって俳句に親しんだ人です。蕪村句集を発見して、子規らの蕪村研究に資するところ多く、また転和吟なるものを創めた人でもあります。

 今日の論語は、公冶長第五の9節・10節です。

5-9 子谓子贡曰,女与囘也孰愈,对曰,赐也何敢望囘,囘也闻一以知十,赐也闻一以知二,子曰,弗如也,吾与女弗如也,
(子、子貢に謂いて曰わく、女と回と孰れか愈れる。対えて曰く、賜や、何ぞ敢えて回を望まん。回や一を聞きて以て十を知る。賜や一を聞きて以て二を知る。子曰わく、如かざるなり。吾れと女と如かざるなり。)
5-10 宰予昼寝,子曰,朽木不可雕也,糞土之牆,不可朽木,於予与何诛,子曰,始吾於人也,听其言而信其行,今吾於人也,听其言而观其行,於予与改是,
(宰予、昼寝ぬ。子曰わく、朽木は雕るべからず、糞土の牆は杇るべからず。予に於いてか何ぞ誅めん。子曰わく、始め吾れ人に於けるや、其の言を聴きて其の行を信ず。今吾れ人に於けるや、其の言を聞きて其の行を観る。予に於いてか是れを改む。)
 
 今日の魯迅箴言は、箴言30から箴言40までです。

31 经验的所得的结果无好坏,都要很大的牺牲,虽是小事情,也免不掉要付惊人的代价。 (経験がもたらす結果は、善かれ悪しかれ、みな大きな犠牲が払われており、たとえ些細な事柄でも、驚くほどの代価の支払いは免れられない。
32 我们看历史,能够据过去以推知未来,看一个人的往的经历,也有一样的效用。 (歴史を眺めれば、過去によって未来を推し測ることができ、一個人のこれまでの経歴を眺めるのも、また同じ効用をもっています。现在,过去,未来
33 无论爱什么,---饭,异性,国,民族,人类等等,---只有纠缠如毒蛇,执着如怨鬼,二六时中,没有巳时者有望。 (なにを愛するにせよ――飯、異性、国、民族、人類などなど――毒蛇のようにまとわりつき、怨霊のように執着し、四六時中、止むことなく愛し続ける者は、望みはある。
 无论爱什么,---饭,异性,国,民族,人类等等,---只有纠缠如毒蛇,执着如怨鬼,二六时中,没有巳时者有望。 (なにを愛するにせよ――飯、異性、国、民族、人類などなど――毒蛇のようにまとわりつき、怨霊のように執着し、四六時中、止むことなく愛し続ける者は、望みはある。
35 危险? 危险令人紧张,紧张令人觉到自己生命的力。在危险中漫游,是很好的。 (危険?危険は人を緊張させ、緊張はわが生命の力を実感させる。危険のなかの漫遊は、なかなか乙なものだ。)
36 做梦,是自由的,说梦,就不自由。做梦,是做真梦的,说梦,就难免说谎。 (夢をみるときは自由だが、それを口にするのは不自由だ。夢は真の夢をみるのだが、それを口にすれば、どうしても嘘になる。
37 自由固不是钱所能买到的,但能够为钱而卖掉。 (自由はもともと、金銭で帰るものではないが、しかし、金銭のために売り払うことはできる。)
38 人必有所缺,这才想起他所需。 (人には必ず欠けたところがあり、それによってようやく、何が必要か思いいたる。
39 人们因为能忘却,所以自己能渐渐地脱离了受过的苦痛,也因为能忘却,所以往往照样地再犯前人的错误。 (人々は忘れることができるから、受けた苦しみから次第に逃れられ、またそれゆえに、あいも変わらず先人の過ちを型どおりに繰り返すのです。
40 火能烧死人,水也能淹死人,但水的摸样柔和,好像容易亲近,因而也容易上当;… (火が人を焼き殺せるように、水も人を溺死させるが、しかし、水は柔和で近寄りやすく見えるため、うっかりすると騙される…)