今日は7月23日です。
今日の論語一日一章は、第7篇「述而第七」第17章「詩書執禮、皆雅言也」(詩書執礼、皆雅に言ふなり)です。
原文はこうです。
「子所雅言、詩書執禮、皆雅言也。」
また、読み下し文はこうなります。
「子の雅(つね)に言ふ所は、詩書執礼皆雅(つね)に言ふなり。」
中国語簡体表記ではこうです。
「子所雅言,诗书执礼,皆雅言也。
Zi suǒ yǎ yán, shīshū zhí lǐ, jiē yǎ yán yě。」
ここで、日本語訳はこうなります。
「先生が常に言ってお教えになるのは、詩と書と礼とであって、これらはみな常に言って棄ておかれぬ事柄である。詩は人の情性を正し、書は二帝三王の大小の政事を述べてあり、礼は人が執り守るべき法度であって、人の日々の実生活に適切なものであるから常にこれを言うのである。」
この章の語句・語彙の解説はこうです。
雅(つね)に;常に、ということです。
執礼;礼に限って執礼として、執の字を附けてあるのは、礼は人の執り守る所だからであります。執は守ることをあらわしています。
この章は門人が孔子の常に言って、人を教えるものを記したものです。
雅言を正言と解して、「孔子は先王の経典を重んじて、詩書を読み、礼を掌る時には、魯の方言を用いないで其の音を正音する」と説いても意味は通じます。