19日の祝賀会まで一週間

 昨日は青森ペンクラブの総会でした。収穫がいくつかありました。一番は、古川壬生さんと会うことができ、彼に「エイメイと壬生」をいちばんたいせつに思っていると告げることができたことです。それに、元副会長の吉田和平さんが元気であったことも嬉しかったことです。吉崎光一(詩人)さんと森陽子(歌人)さんにも会い、二人とも19日の北狄60周年祝賀会に出席してくれるということでした。今日、お二人に案内状とともに北狄366号を送りました。
 懇親会の場で三上会長と話すことができ、総会が終わった翌週から、午前中に会長宅を訪問して、青森にゆかりのある文人たちのことをインタヴューすることも承諾してもらいました。会長の記憶力は抜群ですから、一年かけてやるつもりです。どこまでできるのかわかりませんが、棟方志功太宰治寺山修司、菊谷栄さんと彼らを取り巻く輪状の人間関係について会長しかしらない話を聞けるだけ聞いてみるつもりです。
 懇親会で隣の席には、北野岸柳さんが座ってくれて、彼が私のために色紙を書いてくれると快諾し、私に柳号を考えてやるとも言っていました。
 中里紘一(元歯科医・遙同人)さんにも会いました。彼は、19日当日、福島の花見山へ桜見物に行くということでした。19日に出席の返事をいただいた古内(元県立図書館長)さんと、最前列に座っておられた中里文子(川柳作家)さんとも挨拶を交わすことができました。
 総会終了後、「特定秘密保護法」について講演していただいた金澤茂弁護士は、当日、ものすごいレジュメを準備してくれて、しかも50部用意していただいたのに、30名たらずの参加者数なので、とても申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
 総会や講演会が、会員だけでなく、理事の出席もすくないのは、この時期の日程設定に問題があるような気がします。それに、会員が少なくなっているのと、総会の参加者が年々少なくなっている現状をどう打開するかがこれから課題だと思いました。難しい問題です。いい方法はみつからないのです。市内の4つの大学の文学好きの学生と連携する(出前講座とか)とか、会員拡大のための学生割引をつける、そのような案しか思いあたりませんでした。
 総会で監事(理事と兼務)を仰せつかりました。わたしはお金以外の件では、頼まれたら断らない主義なので、いとも簡単にひきうけてしまいました。(この日の午前中、今村修さんがやっている「奏海の会」の監査もやることになりました)。
 ペンクラブは時にはペンの力で政治的な発言や行動も必要ではないのかとも思ったりもします。単なる友好団体としての集まりだけでいいのかどうか、難しい問題だと思います。私は一方に偏り過ぎずに、どちらも必要なのではないかと思ったりしています。
 青ペンの会員や役員には、文学や芸術を職業としている人が皆無で、みな趣味でやっている人が圧倒的ななかで、文学的な、或いは芸術に関する専門性や、能力や技量を振りかざして、人を評価するのもどうかと思います。総会後の第1回理事会で任務分担が決まると思いますが、与えられた自分の担務を真面目にやるしかないと思いました。
 懇親会には小野允雄弁護士(北狄同人)も見えていましたので、19日の祝賀会には是非出席してほしいと要請しました。弁護士会の日程と重なっていたようですが、金澤弁護士が祝賀会に出席されるのに、同人の小野弁護士が出席しないのはどうかと思いましたので、叱られるのを覚悟で重ねて要請しました。そうしましたら、小野弁護士は阿木邑編集長のもとへ、できれば出席すると返事したとのことでした。小野弁護士は体調もあまり良くないようでしたので、無理を言ってしまったとあとで後悔しています。
 この日、「報(告)連(絡)相(談)」がいかに大事か、よくわかりました。参加予定者を斎藤事務局長の言うまま50人と報告して、金澤弁護士に迷惑をかけました。高齢化が青森ペンクラブや北狄はすすんでいます。人は老い、病に陥ります。そのとき、人に迷惑をかけずにどう生きるかが、これからの私にとって大切なのだと痛感させられました
 北狄は60周年を迎えます。服部進前代表亡きあと、長老の石沢武さんも亡くなりました。かつての北狄は、300号祭では70人余が集まり、50周年祝賀会でも50人を結集しました。今や、60周年祝賀会では同人をいれても30人しか集まらないのは、青ペンクラブの総会よりは多いとしても、服部進先生に申し訳ない気持ちでいっぱいです。服部進先生を偲びたいと、60周年祝賀会にわざわざ東京から来てくれる宮園真木(詩人・日本ペンクラブ会員・出版社編集部長)さんのことを思うと涙が出てきてしまいます。
 二度と北の邊の編集長に「北狄よりは、北の邊の方がずっといい」などと馬鹿にされないように、祝賀会を機に精進したいと思います。