今日は12月27日年末の土曜日です。

 パソコンが朝から不調で、その修理というか、不用なファイルの消去・削除と起動スピードの回復に時間がかかり、かえって以前にも増して変換がスムーズにいかなくなりました。結果として、午後の3時まで、入力ができないという結果になってしまいました。
 パソコンの復旧作業の合間をみて、北狄編集長のところから北狄369号を入手してきました。私の作「鎌先温泉」(34枚)も12頁にわたって掲載されています。
 
 今日の子規歳時は、
  冬籠る部屋や盥の浮寝鳥  (明治31年12月27日)
 子規は高浜虚子から(明治31年12月22日に)贈られた小鴨を病室の中にタライを置き、これに浮かせて泳ぐ様を眺めて興じたという。
 
91 倘若一定要问我青年应当向怎样的目标,那么,我只可以说出我为别人设计的话,就是;一要生存,二要温饱,三要发展。…… 我之所谓生存,并不是苟活;所谓温饱,并不是奢侈;所谓发展,也不是放纵。
 (もし私に、青年はいかなる目標に向かうべきか、と無理にも問うのなら、私は、他の人のために考えた言葉を言うほかないでしょう。――すなわち、一に生存、二に衣食、三に発展。…… 私の言ういわゆる生存とは、けっしてその場限りに活きることではなく、いわゆる衣食とは、奢侈ではなく、いわゆる発展とは、放縦ではありません。)
92  我也曾有如现在的青年一样,向己死和未死的导师们问过应走的路。他们都说;不可向东,或西,或南,或北。我终于发见他们心底里的蕴蓄了;不过是一个不走而己。
 (私もかつては、今の青年たちと同様に、すでに亡くなった、あるいはまだ亡くなっていない指導者たちに、歩むべく道を訊ねたものだ。彼らはみなこう言った。東、あるいは西、あるいは南、あるいは北に向かってはならない、と。しかし、東、あるいは西、あるいは南、あるいは北に向かうべきだ、とも言わなかった。私はようやく、彼らの腹の底にある蘊蓄を発見した。それはただ、「行くな」ということだった。)
93 纵令不过一洼浅水,也可以学学大海;横竖都是水,可以相通。
 (たとえ浅い水たまりにすぎずとも、大海を学ぶことはできる。いずれにせよ、どちらも水だから、あい通じるはずだ。)
94 青年又何须寻那挂着金字招牌的导师呢? 不如寻朋友,联合起来,同向着似乎可以生存的方向走。你们所多的是生力,遇见深林,可以辟成平地的,遇见旷野,可以栽种树木的,遇见沙漠,可以开掘井泉的。
 (青年が、金文字の看板を首にかけた指導者を探す必要など、どこにあろうか? 朋友を探して団結し、生きていけそうな方向へと共に歩み出すほうがいい。君たちは活きる力に溢れていて、森林に遭遇すれば平地を切り開き、荒野に遭遇すれば樹木を植え、砂漠に遭遇すれば井戸を掘ることができるのだ。)
95 第一次吃螃蟹的人是很可佩服的,不是勇士谁去吃它呢?螃蟹有人吃,蜘蛛一定也有人吃过,不过不好吃,所以后人不吃了。像这种人我们当极端感谢的。
 (初めて蟹を食べた人には、まったく感服します。勇者でなくて誰が、そんなものをあえて食べるでしょうか? 蟹を食べた人がいれば、蜘蛛を試した人もいたはずです。しかし不味かったために、後の人は食べなかった。このような人たに、私たちは大いに感謝すべきでありましょう。)
96 孩子是要别人教的,毛病是要别人医的,即使自己是教或医生。但做人处世的法子,却恐怕要自己斟酌,许多别人开来的良方,往往不过是废纸。
 (子どもには他人の教えが必要であり、病気には他人の治療が必要である。――たとえ、自分が教師や医者であっても。しかし、人として世を渡ってゆくには、自分で思案し処置するほかないだろう。)
他人が示してくれるあれこれの処方箋は、往々にしてただの紙屑にすぎない。
97 用秕谷来养青年,是决不会壮大的,将来的成就,且要更渺小,……
 屑米で青年を養えば、けっして大きく丈夫には育たず、将来に成し得ることは、ましてや貧弱なものにしかなるまい……)
98 老的让开道,催促着,奖励着,让他们走去。路上有深渊,便用那个死填平了,让他们走去。少的感谢他们填平深渊,给自己走去;老的也感谢他们从我填平的深渊上走去。――远了远了。
 (老いた者は若者に道をあけ、促し、励ましつつ、彼らを先へと歩ませる。地上に深い淵があれば、自分の死をもって埋めて平らにし、若者たちを先へと歩ませる。若者は、老いた者が淵を埋め自分たちを行かせてくれたことに感謝し、老いた者もまた、自分が平らにした淵の上を歩む若者たちに感謝する。――遠く、どこまでも。)
99 先驱者本是容易变成绊脚石的。
 (先駆者は元来、容易に邪魔者になり変わるものだ。)
100 希望是附丽于存在的,有存在,便有希望,有希望,便是光明。
 (希望は存在とともにあるものです。存在あるところに希望はあり、希望あるところに光明があります。)