今朝は3時に寝て、6時45分に起きました。

 1日の夜中に、魯迅箴言が終わったので、今日からは論語です。論語の第1篇「学而第一」は第1章から第16章まであります。
 娘夫婦を新幹線の新駅まで送ってから、パソコンの更新をしながら、11章から16章まで読み込むことができました。
 
 今日の子規歳時は、
 
 遣羽子の吹かれて風に斜めなり (1896年、明治29年1月2日)
 
 子規は8歳の新年に初めて、祖父大原観山の家塾の稽古初めに出席しています。そして、10歳のとき、「初めて頭にマゲのなき新年」を迎えたということです。それまでは、マゲを結び、脇差をさしていたということです。
 ここで、
 やり‐はご【遣羽子】
 二人以上で一つの羽子をついてやりとりすること。おいばね。遣羽根。
 
1-11 子曰,父在观其志,父没观其行,三年无改於父之道,可谓孝矣,
(子曰わく、父在(いま)せば其の志しを観、父没すれば其の行いを観る。三年、父の道を改むること無きを、孝と謂うべし。)
1-12 有子曰,礼之用和为贵,先王之道斯为美,小大由之,有所不行,知和而和,不以礼节之,亦不可行也,
(有子曰わく、礼の用は和を貴しと為す。先王の道も斯れを美と為す。小大これに由るも行われざる所あり。和を知りて和すれども、礼を以てこれを節せざれば、亦た行われず。)
1-13 有子曰,信近於义,言可复也,恭近於礼远耻辱也,因不失其亲,亦可宗也,
(有子曰わく、信、義に近づけば、言復(ふ)むべし。恭、礼に近づけば、恥辱に遠ざかる。因ること、其の親を失わざれば、亦た宗とすべし。)
1-14 子曰,君子食无求饱,居无求安,敏於事而慎於言,就有道而正焉,可谓好学也己已矣,
(子曰わく、君子は食飽かんことを求むること無く、居安からんことを求むること無し。事に敏にして言に慎しみ、有道に就きて正す。学を好むと謂うべきのみ。)
1-15 子貢曰,贫而无谄,富而无骄,何如,子曰,可也,未若贫而乐道,富而好礼者也,子贡曰,诗云,如切如磋,如琢如磨,其斯之谓与,子曰,赐也,始可与言诗已,告诸往而知来者也,
(子貢曰わく、貧しくして諂うこと無く、富みて驕ること無きは、如何。子曰わく、可なり。未だ貧しくして道を楽しみ、富みて礼を好む者には若(しか)ざるなり。子貢が曰わく、詩に云う、切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如くとは、其れ斯れを謂うか。子曰わく、賜や、始めて与(とも)に詩を言うべきのみ。斯れに往を告げて来を知る者なり。)
1-16 子曰,不患人之不己知,患己不知人也,
(子曰わく、人の己を知らざることを患えず、人を知らざることを患う。)