栴檀は双葉より芳し

 今日は2月11日、水曜日ですが、建国記念日で休日です。

 今日の子規歳時は、

 栴檀のほろほろ落る二月哉 (1894年、明治27年2月11日)

 日本新聞は、猛烈に時の内閣攻撃を続け、ひんひんと発行停止を受けていたので、明治27年2月11日別に「小日本」という新聞を創刊しました。子規は陸羯南に選ばれてその編集主任となり、すぐれた手腕を発揮したのでした。

 せんだん【栴檀
(梵語 candana  旃檀那。香木の名)
①ビャクダンの異称。
②センダン科の落葉高木。わが国を始めアジア各地の暖地海辺に自生、高さ約八メートル。葉は大形の羽状複葉。春、葉のつけ根に淡紫色の五弁花をつけ、楕円形の核果を結ぶ。果実は生薬の苦楝子(クレンシ)としてひび薬、樹皮は駆虫剤とし、材は建築・器具用材。古く獄門のさらし首の木に使われた。①とは全く別種。アミノキ。古名、おうち()
③「栴檀の板」の略。

栴檀は双葉(フタバ)より芳(カンバ)
栴檀①は発芽の頃から早くも香気があるように、大成する人は子供の時から並はずれてすぐれている

 今日の魯迅箴言は、箴言7から箴言9までです。ここで魯迅は、7.無窮の彼方、無数の人々、その全てが私とつながっていて、私が存在し、生活し、生き続ける、だからこそ、私は自分をいっそう切実に感じ始める、8.抑圧されてどうして戦わないのか、闘争はむしろ正しい、9.相手が猛獣なら猛獣のように、羊なら羊のように戦えばいいのだ、そうすればいかなる魔鬼も自分で地獄へ引き下がるほかないのだ、といっています。

  无方,无数的人,都和我有关。我存在着,我在生活,我将生活下去,我开始得自己更切,…(無窮の彼方、無数の人々――全てが私とつながっている。私は存在し、私は生活し、私は生きつづける。私は自分をより一層、切実に感じはじめた…)
  斗争呢,我倒以的。人被迫了,什么不斗争?(闘争はむしろ正しいと思います。抑圧されて、どうして戦わないのですか?)
  手如凶兽时就凶手如羊就如羊! 那么,无什么魔鬼,就都只能回到他自己的地里去。(相手が猛獣のようなら猛獣のように、相手が羊のようなら羊のように振る舞うのだ!そうすれば、いかなる魔鬼も、みずからの地獄へ引き返すほかあるまい。)


 今日の論語は、巻第二 第4篇 里仁第四(4-21から4-26まで)です。ここでは、21.父母の年齢はしらなければならない、一つにはそれで長生きを喜び、一つにはそれで老い先を気遣うのだ、22.昔の人がことばを軽々しく口にしなかったのは、それを実践できないことを恥じたからだ、23.つつましくして失敗する人はほとんど無い、24.君子は口を重くして、実践につとめるようにありたいと望む、25.道徳のある者は孤立しない、きっと親しい仲間ができる、26.子游が言うには、君にお仕えしてうるさくすると、いやがられて君から恥辱を受けることになるし、友だちにもうるさくすると疎遠にされるものだ、とあります。
 

4-21 子曰,父母之年,不可不知也,一则以喜,一则以惧,
(子曰わく、父母の年は知らざるべからず。一は則ち以て喜び、一は則ち以て懼る。)
4-22 子曰,古者,言之不出,耻躬之不逮也,
(子曰わく、古者、言をこれ出ださざるは、躬の逮(およ)ばざるを恥じてなり。)
4-23 子曰,以约失之者,鲜矣,
(子曰わく、約を以てこれを失する者は、鮮なし。)
4-24 子曰,君子欲訥於言,而敏於行,
(子曰わく、君子は言に訥にして、行に敏ならんと欲す。)
4-25 子曰,德不孤,必有鄰,
(子曰わく、徳は孤ならず。必らず鄰(となり)あり。)
4-26 子游曰,事君数斯辱矣,朋友数斯疏矣,
子游曰わく、君に事うるに数々すれば、斯に辱しめられ、朋友に数々すれば、斯に疎んぜられる。)