二日ぶりの魯迅箴言日記です。

 3月23日、月曜日となりました。21日は県議選の総決起集会やら、日中友好協会の総会やらで、そのあとの反省会もあり、大変な一日でした。昨日はまた、仙台で研究会があり、原発の再稼働問題についてレポートして、帰りに雨に打たれ、疲れて寝てしまいました。

 昨日の子規歳時は、

 菎蒻につつじの名あれ太山寺 (1892年、明治25年3月22日)

 子規は、明治25年の春ごろ、何々十二か月を試みて句作に励みました。松山名所名物十二カ月の三月に、この太山寺の句や「若鮎の二手になり上りけり」「荒れにけり茅針(つばな)まじりの市の坪」「永き日や菜種つたひの七曲り」などの句があります。

 今日の子規歳時は、

 砂原やほうしこ抜けばとなながら (1896年、明治29年3月23日)

 土筆をホウシコ、スギ菜をトナと呼ぶのは松山語です。中の川の紅梅の歌碑にあるように、子規は故郷の土筆をなつかしみ「麻生田にいまだ短し土筆」の句もあるように、土筆は好物の一つであったようです。

 今日の魯迅箴言は、箴言18と19です。

18 不满是向上的车轮,能够载着不自满的人类,向人道前进。多有不自满的人的种族,永远前进,永远有希望。多有只知责人不知反省的人的种族,祸哉祸哉!
  Bùmǎn shì xiàngshàng de jū lún, nénggòu zàizhe bù zìmǎn de rénlèi, xiàng
   réndào qiánjìn. Duō yǒu bù zìmǎn de rén de zhǒngzú, yǒngyuǎn qiánjìn, yǒng
   yuǎn yǒu xīwàng. Duō yǒu zhǐ zhī zé rén bùzhī fǎnxǐng de rén de zhǒngzú, huò
   zāi huò zāi!
(不満は、向上の車輪である。自己に満ち足りぬ人類を載せ、人の道に向かって前進できる。自己に満ち足りぬ人の多い種族は、永遠に前進し続け、永遠に希望がある。ああ、禍ものだ。禍ものだ!)
 
19 有些改革者,是极爱谈改革的,但真的改革到了身边,却使他恐惧。
  Yǒuxiē gǎigé zhě, shì jí ài tán gǎigé de, dàn zhēn de gǎigé dàole shēnbiān,
   què shǐ tā kǒngjù.
(改革者たちはやたらと改革を語りたがるが、真の改革が身に及ぶと、きっと怖気づくに違いない。)