今日の子規歳時は、
ごうごうと皐月の海の鳴り渡る (1896年、明治29年5月3日)
松山中学は、「良師に乏しく良規則を得ず」と叔父加藤恒忠に書を寄せて不満を訴えた子規は、東都遊学の念切なるものがあり、ついに明治16年5月退学したのでした。柳原極堂らはすでに退学上京していました。
人往往憎和尚,憎尼姑,
憎回教徒,憎耶教徒,而不憎道士。
懂得此理者,动的中国大半。
Rén wǎngwǎng zēng héshàng, zēng nígū,
zēng huí jiàotú, zēng yé jiàotú, ér bù zēng dàoshi.
Dǒngdé cǐ lǐ zhě, dòng de zhōngguó dàbàn.
zēng huí jiàotú, zēng yé jiàotú, ér bù zēng dàoshi.
Dǒngdé cǐ lǐ zhě, dòng de zhōngguó dàbàn.
「中国人はしばしば、坊さんを嫌い、尼さんを嫌い、回教徒を嫌い、キリスト教徒を嫌うが、道士を嫌うことはないのだ。その理由がわかれば、中国の大半をわかったことになる。」
今日の論語は、6-12(巻第三 雍也第六篇 12章)です。
6-12 冉求曰,非不说子之道,力不足也,子曰,力不足者,中道而废,今女畫,
Rǎn qiú yuē, fēi bù shuō zǐ zhī dào, lì bùzú yě, zǐ yuē, lìbùzú zhě, zhōng dào ér fèi, jīn nǚ huà,
(冉求曰わく、子の道を説ばざるには非ず、力足らざればなり。子曰わく、力足らざる者は中道にして廃す。今女は画れり。) ・説;说 shuo
①道理をとくこと。ときすすめること。「説明・説教・解説・力説・遊説」
②とかれた考え。また、それを書いた文章。「新しい説」「定説・学説・大陸移動説」
③うわさ。狂、雪打合「人のいふを、誠か説かと思うたれば、これはをかしい事ぢゃ」。「風説・伝説」
④漢文の一体。理義を解釈し、また、自分の意見を述べたもの。韓愈の師説、蘇軾の剛説など。
・中道;中道 zhongdao
①行程のなかほど。半途。中途。「中道にして倒れる」
②極端に走らない中正の立場。「中道を行く」
③(仏)二つの極端(二辺)すなわち有・無。断・常などの対立した世界観を超越した正しい宗教的立場。また、快楽主義を苦行主義の両極端を離れること。→中論。