6歳で論語を学んだ鷗外

 今日は5月5日、子どもの日です。昨夜来の雨もあがって、すこしひんやりしていますが、青空が薄くひろがって穏やかな陽射しが二階の窓から差し込んでいます。
 私には4人の子どもがいます。4人とも幸いにして元気で、それぞれ結婚して働いています。そして、次男と長男のところに3人の孫がいます。孫は7歳、3歳と1歳です。孫たちに何も残してやれませんが、北国の片田舎で毎日、子規の俳句に親しみ、魯迅箴言に考えさせられ、論語を読んで聞かせたいと願っている祖父がいたことをいつか知ることがあるのだろうかと思いました。それにつけても、森鷗外が6歳のときに論語を学んでいたとは、驚き以外の何ものでもありません。

 今日の子規歳時は、
 若楓仮名巧なる写し物 (1901年、明治34年5月5日)
 子規が「病牀六尺」を日本紙上に連載しはじめたのは明治35年5月5日のことです。百回に達したとき、「余にとっては十年も過ぎたような感じがする」と書いています。結局、127回を重ねて、死の前々日まで続けたのでした。
 
 今日の魯迅箴言は、箴言62です。
 群众,
  ――尤其是中国的,
  ――永远是戏剧的看客。
   Qúnzhòng,
    ――yóuqí shì zhōngguó de,
    ――Yǒngyuǎn shì xìjù de kànkè
「群衆、――とくに中国の群衆は、――永遠に芝居の見物客なのです。」
 群衆;群众 qunzhong  永遠;永远 yongyuan  芝居;戏剧 xiju  見物客;看客 kanke

 今日の論語は、論語6-14(巻第三 雍也第六 14章)です。
 6-14 子游爲武城宰、子曰、女得人焉耳乎、曰、有澹臺滅明者、行不由徑、非公事、未嘗至於偃之室也、
 Zǐyóuwèiwǔ chéng zǎi, zǐ yuē, nǚ dé rén yān ěr hū, yuē, yǒu dàn tái miè míng zhě,xíng bùyóu jìng, fēi gōngshì, wèicháng zhìyú yǎn zhī shì yě,
子游、武城の宰たり。子曰わく、女、人を得たりや。曰わく、澹台滅明なる者あり、行くに径に由らず、公事に非ざれば未だ嘗て偃の室に至らざるなり。)
  ・宰;宰 zai
 ①とりしきること。つかさどること。つかさ。家臣の長。「主宰・宰相」
 ②料理人。「庖宰」
 ・徑;径 jing
 ①こみち。「径路・山径」
 ②まっすぐ結ぶ道。さしわたし。「径5センチ」「半径・口径」
 ③まっすぐなこと。「直情径行」

 今日、半年ぶりくらいで子規、魯迅論語漱石日課として読むことができました。今日は、5月5日子どもの日です。4人の子と3人の孫に幸あれと祈っています。