祝鮀の佞、宋朝の美

 連休もあけ、今日は5月7日、木曜日です。今日からまた、いつものように普段通りの生活を始めなければなりません。まず、日課から始めます。今日の予定は、9時過ぎに新町の事務所へ顔を出し、それから10時過ぎに大竹事務所で、巴子さんと打ち合わせをします。大竹事務所の今村組の事務所開き(11日)、街宣車の運行等について協議します。今村組は実質、今日から作業開始だからです。午後は新町事務所へ戻って、GEAのニュースレターの作成に取り掛からねばなりません。GEAの仕事もしなければ、事務所の一角を貸してもらっている義務もはたさねばなりません。明日はGEAの事務局会議、9日はGEAの理事会もあります。
 夕方、6時から中国語教室が市民センターでありますので、そちらに顔を出し、それから帰宅する予定です。できれば、今日中に15日の月曜会の案内の葉書も出したいと思っています。それから、今日中に川柳教室の宿題も投句しなければなりません。川柳の勉強に新聞にも投句したいと考えています。

 今日の子規歳時は、
 夏に入ってげんげんいまだ衰へず (1896年、明治29年5月7日)
 「夏来れり、狭き庭を見れば葵は乳のあたり迄伸び出で青薄はや風を受けて乱れ初めたり。薔薇は赤き枝の若きが只すいすいと長高く、赤き葉、赤き刺のうつくしき中に蒼の紅を含みていくつも並びたるなかなかに開き尽くしたるよりは見処多し。」(松蘿玉液)
 げんげん、とは何のことでしょうか?

 今日の魯迅箴言は、箴言64です。
 中国人向来有点自大。
  ――只可惜没有「个人的自大」。
  都是「合群的爱国的自大」。
  Zhōngguó rén xiànglái yǒudiǎn zì dà.
  ――Zhǐ kěxí méiyǒu `gèrén de zì dà'.
  Dōu shì `héqún de àiguó de zì dà'.
「中国人は、昔から尊大なところがある。――ただ惜しむらくは、そこに『個人的な尊大』はなく、すべて『集団的・愛国的な尊大』なのだ。」
 そん‐だい【尊大】;(中国語)自大 zida
 たかぶって偉そうにすること。横柄(オウヘイ)。傲慢。「尊大に構える」
 おしむらく‐は【惜しむらくは】ヲシム‥;(中国語)可惜 kexi
 (オシムラクオシムにク語法の類推によって生じた接尾語ラクがついたもの) 惜しいことには。残念なことには。
 しゅう‐だん【集団】シフ‥;(中国語)合群 hequn
 ①多くの人や物のあつまり。「―就職」
 ②(group) 規則的・持続的な相互関係をもつ個体の集合。団体。
 ③〔生〕(population) 有性繁殖の可能性を通して結ばれた生物の同種個体の集まりをいう。生態学でいう個体群に同じ。メンデル集団。

 今日の論語は、6-16(巻第三 雍也第六篇 16章)です。
 子曰、不有祝鮀之佞、而有宋朝之美、難乎、免於今之世矣、
 (子曰,不有祝鮀之佞,而有宋朝之美,难乎,免於之今世矣,)
 Zǐ yuē, bù yǒu zhù tuózhī nìng, ér yǒu sòng zhāo zhīměi, nán hū, miǎn yújīn zhī shì yǐ,
(子曰わく、祝鮀の佞あらずして宋朝の美あるは、難いかな、今の世に免れんこと。)
 祝鮀;衛の祭祀官(祝)。鮀は名。あざ名は子魚。雄弁家として功をたて、もてはやされた。
 宋朝;宋の公子朝。衛の霊公の夫人南子の情人として美貌として有名。両人とも孔子の当時の人。
 ねい【佞】
 口先がうまく、人にへつらうこと。口先はうまいが心はねじけていること。また、そういう人。太平記三○「賢を招き佞を退け給ひしかば」。「佞人」「佞言」「奸佞」