魯迅箴言日記 2020/03/22 蒟蒻につつじの名あれ太山寺

 今日は3月22日、日曜日です。総会も終わり、ホッとしたところです。あとは申告と法人税の納付で終わりです。いまのままでは、あと2年もすればGEAの財政も底をつきます。そのため、4月からは完全ボランティアでやります。本来のNPOに戻ります。

 今日は7時に起きて、日課をやり、11時に輝代さんと一緒に、買い物に行きました。12時に戻り、昼食にインスタントラーメンを食べ、車で古川の事務所へ行きました。1時に風晴れさんが申告作業で来るので、その打ち合わせです。結局、3時まで事務所に居て、そのあと県立美術館へ行きました。青柳さんからもらった招待券を思い出したからです。県美は閑散としていました。フィラデルフィアが改築中とかで、アレコ第3幕の幕画もそろっていました。やはり3幕だけでは足りません。全部そろっているほうがドラマが完結できていいと思いました。シャガールのアレコのほかは棟方志功の板画と奈良美智の作品が主で、物足りない感じがしました。カフェによろうと思いましたが、新型コロナの影響で営業は2時まででした。ちょっと疲れました。

 

 今日の子規歳時は、「蒟蒻につつじの名あれ太山寺」(明治25年)です。明治25年ごろの子規は名所名物を題材にして、それぞれの12カ月を句に詠んでいました。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言130の64です。

 (原文)

  中国人向来有点自大。

     ――只可惜没有「个人的自大」。

    都是「合群的爱国的自大」。

 (発音拼音)

  Zhōngguó rén xiànglái yǒudiǎn zì dà.

  ――Zhǐ kěxí méiyǒu `gèrén de zì dà'.

  Dōu shì `héqún de àiguó de zì dà'.

 (日本語訳)

  中国人には、昔から尊大なところがある。

  ――だだ惜しむらくは、そこに「個人の尊大」はなく、

  すべて「集団的、愛国的な尊大」なのだ。