魯迅のいう中国人の特徴、孔子の嘆き

 今日は5月8日、金曜日です。今日の予定は午後2時からGEAの事務局会議です。新町の事務所のパソコンを会計の入力で午前中使うので、「午後に事務所へ来てくれろ」ということで、今日は午前中は青柳の事務所と大竹事務所にいることになります。午後6時から、三甲会の飲み会で天ぷらの堤に行きます。二次会には参加せず、一次会だけで帰ってくるつもりです。
 昨夜、事務所の帰りに古川市民センターで始まった中国語教室へ顔を出しました。講師は劉雨さんで、長春の大学の学生だった人です。少人数でしたが、なかなか楽しい会でした。これだったら、お金を出して、教室に通うのも悪くないと思いました。中国語を身につけるチャンスと思い、真面目にやってみるつもりです。
 それにつけても、昨日の論語の「祝鮀の佞、宋朝の美」とともに、今日の魯迅の「见胜兆则纷纷聚集,见败兆则纷纷逃亡」とともに、現在の日本の世相を物語っているのではないか、と考えされられました。大衆を、それを悪いと決めつける前に、大衆をそうさせて放置していることの方が問題なような気がします。それにつけても自分の非力を痛感している次第です。

 今日の子規歳時は、
 鮒釣や藻の咲く池を見て過る (1897年、明治30年5月8日)
 「郷里松山の南の郊外に池が多きといふ話。池の名は丸池、角池、庖刀池、トーハゼ(唐櫨)池、鏡池、弥八婆婆の池、ホイト池、薬師の池、浦屋の池など。」(病牀六尺「五月十日の記事」)

 今日の魯迅箴言は、箴言65です。
 中国一向就少失败的英雄,
  少有韧性的反抗,
  少有敢单身鏖战的武人,
  少有敢抚哭叛徒的吊客,
  见胜兆则纷纷聚集,
  见敢兆则纷纷逃亡。
  Zhōngguó yīxiàng jiù shǎo shībài de yīngxióng,
  shǎo yǒu rènxìng de fǎnkàng,
  shǎo yǒu gǎn dānshēn áozhàn de wǔrén,
  shǎo yǒu gǎn fǔ kū pàntú de diào kè,
  jiàn shèng zhào zé fēnfēn jùjí,
  jiàn gǎn zhào zé fēnfēn táowáng.
「中国では一貫して、失敗した英雄が少なく、強靭な反抗も少ないし、あえて単身で斬り込む武人は少なく、反逆者を哭いて悼む弔問客も少なかったのだ。勝ちそうだと見れば、われ先に集まるが、負けそうだと見れば、散り散りに逃げていくのだ。」
 一貫;(中国語)一向 yixiang    失敗;(中国語)失败 shibai   
 英雄;(中国語)英雄 yingxiong   強靭な;(中国語)韧性的 renxingde
  反抗;(中国語)反抗 fankang   単身;(中国語)单身 danshen
  激戦する;(中国語)鏖战 aozhan   武人;(中国語)武人 wuren
  哭悼する;(中国語)抚哭 fuku   反逆者;(中国語)叛徒 pantu
  弔問客;(中国語)吊客 diaoke  次々に;(中国語)纷纷 fenfen
 勝ちそうだとみれば即;(中国語)见胜兆则 jian sheng zhao ze
 負けそうだとみれば即;(中国語)见败兆则 jian bai zhao ze
 参集する;(中国語)聚集 juji   逃亡する;(中国語)逃亡 taowang

 今日の論語は、6-17(論語巻第三 雍也第六篇 17章)です。
 子曰,谁能出不由户者,何莫有斯道也,
   Zǐ yuē, shuí néng chū bùyóu hù zhě, hé mò yǒu sī dào yě,
「子曰わく、誰か能く出ずるに戸(こ)に由(よ)らざらん。何ぞ斯の道に由ること莫(な)きや。」
 (孔子この章で、人が出て行くには誰もが戸口からでなければならないのに、どうして人が生きてゆくのにこの道を通る者がいないのだろうか、道を究める人が少ないのを嘆いているのです。)