5月17日、日曜日です

 パソコンが炎上し、今日の日記は5月17日です。今日は、午前中、知事選のアンケートに対する回答の担当分を書いていました。午後から昨年のお礼をすべくSDPの総会に顔を出しました。全体的に討論は低調で、知事選の議論はありませんでした。とりわけ、4月の県議選で二度続けて破れているのに、きちんとした総括や反省もなく、結果に対する責任もとらないまま、全役員が留任したのには驚きました。これではどんどん有権者が離れていくのは、当然です。死ぬまで、あるいは自然消滅まで役員を続けるつもりなのかもしれません。
 予定より早く、3時には総会も終わり、大竹事務所へ寄り、アンケートや政見放送の内容の打ち合わせをして、6時に千成に顔を出したあと、7時過ぎに家に戻りました。

 今日の子規歳時は、
 小硯に金泥かわく夏書哉 (1897年、明治30年5月17日)
 万年筆などない時代ですから、大部の稿本も一々墨と筆を使っていたのです。そのスズリは小学校用の安物で一向平気だったようです。筆は十本十銭の「小筌毫ショウセンコウ(小筌毫;xiao quan hao)」というシナ製に限られていました。

 今日の魯迅箴言は、箴言74です。
 女人的天性中有母性,有女儿性;无妻性。
  妻性是逼成的,
  只是母性和女儿性的混合。
  Nǚrén de tiānxìng zhòng yǒu mǔxìng, yǒu nǚ'ér xìng; wú qī xìng.
  Qī xìng shì bī chéng de,
  zhǐshì mǔxìng hé nǚ'ér xìng de hùnhé.
「女性の天性のうちには、母性と娘性はあるが、妻性はないのだ。妻性は逼られてできたものであり、母性と娘性が混ざり合ったものにすぎないのだ。」
 女性;女性 nvxing  天性;天性 tianxing  母性;母性 muxing  娘;女儿 nver
  妻;妻 qi  逼る;逼 bi  混合;混合 hunhe

 今日の論語は、論語6-26(論語巻第三 雍也第六篇 26章)です。
 宰我問曰、仁者雖告之曰井有仁者焉、其從之也、子曰、何爲其然也、君子可逝也、不可陥也、可欺也、不可罔也、
 Zǎi wǒ wèn yuē, rénzhě suī gào zhī yuē jǐng yǒu rénzhě yān, qí cóng zhī yě, zǐ yuē, hé wèi qí
 rán yě, jūnzǐ kě shì yě, bùkě xiàn yě, kě qī yě, bùkě wǎng yě,
宰我、問うて曰わく、仁者はこれを告げて、井に仁ありと曰うと雖も、其れこれに従わんや。子曰わく、なんすれぞ其れ然らん。君子は逝かしむべきも、陥るべからざるなり。欺くべきも、罔うべからざるなり。」(井戸の中に仁があると言われたとして、仁者はそれについていくことはない。君子はそばまで行かせることはできても、井戸の中まで落しこむことはできない。ちょっとだますことはできても、どこまでもくらますことはできない。)