今日は5月22日、金曜日です。朝、6時半、金澤先生宅を出発し、山形での東北6県の9条の会の交流会です。昨日は仙台で、SDPの東北ブロックのOBGの会で美濃さんにお供しました。昨日は、昔、一時同僚だったことのある降矢さんの福島のお父さんの元気な姿をみましたし、帰り際に仙台の沖田さんから塩釜の菊池(大学同級)さんが元気でいることを聞かされました。
今日はまた、首長9条の会の懇親会で、選研で助手だった板垣さんと40年ぶり会い、彼が今、宮城の9条の会の事務局長として会議に来たと挨拶されました。驚きでした。不思議なことがあるものです。
6時半に青森を出て、高速で、岩出山、長者原で休憩して、12時に山形駅近くのホテルに着きました。駅の西口に新しい駅ビルができていました。駅のなかの豚カツ屋で昼食を食べ、すこし早目に近くの会場へ行きました。金澤先生、木下さん、田村さんの3人が同乗しました。会議と懇親会が終わり、7時に小鹿さんの葬儀に列席していた前田さんがホテルで合流しました。ホテルのレストランで二次会をやり、部屋に戻りました。部屋で日課をやらねばなりません。
今日の子規歳時は、
石竹の葉勝に赤き花ひとつ (1897年、明治30年5月22日)
「痛くて痛くてたまらぬとき、14、5年前に見た吾妻村あたりの植木屋の石竹畑を思ひ出して見た」り「筍が掘って見たい」「物に触れぬように空中にフワリと浮きたい」など「墨汁一滴」に書いたのは、明治34年5月のことでした。
道德这事,必须普遍,
人人应做,人人能行,
又子自他俩利,才有存在的价值。
Dàodé zhè shì, bìxū pǔbiàn,
rén rén yīng zuò, rén rén néng xíng,
yòu zǐ zì tā liǎ lì, cái yǒu cúnzài de jiàzhí.
rén rén yīng zuò, rén rén néng xíng,
yòu zǐ zì tā liǎ lì, cái yǒu cúnzài de jiàzhí.
「道徳というものは、普遍的でなければならぬ。誰もが行うべきで、誰もが行うことができ、そのうえ自他のためになって、はじめて存在の価値がある。」
道徳;道德 daode 必須;必须 bixu 普遍;普遍 pubian 行うべき;应该 yinggai
行える;能行 nengxing 存在;存在 cunzai 価値;价值 jiazhi
子曰、述而不作、信而好古、竊比於我老彭、
Zǐ yuē, shù ér bùzuò, xìn ér hǎo gǔ, qiè bǐ yú wǒ lǎo péng,
「子曰わく、述べて作らず、信じて古を好む。窃かに我が老彭に比す。」(孔子がいっています。古いことにもとづいて、述べて創作はせず、むかしのことを信じて愛好する。そうした自分をこっそりわが老彭の態度にも比べている、と。)
ここで、老彭(ろうほう)とは、殷王朝の賢大夫のことです。ほかに、老聃(ろうたん;老子のこと)、彭祖(ほうそ;尭のころの数百歳の長寿者)という説もあります。