6月18日、校正の仕事が終わりました

 6月18日、木曜日です。漸く、600頁の校正の仕事を終えたのは、未明のことでした。今朝の8時過ぎに集荷に来て、明日の午前中には出版社に届く予定です。この1カ月随分時間をかけてやったつもりですが、それでも完璧ではないかもしれません。それだけ校正の仕事が大変だということがいまさらながらよく分かりました。小説を締め切りに間に合って書きあげたときとは違った達成感と解放感、それに何より勉強になったという充実感があるのです。

 今日の子規歳時は、
 我見しより久しきひよんの茂哉 (1895年、明治28年6月18日)
 「松山南郊薬師」のヒョンの木はいまも繁っています。イス「柞」・蚊母樹ともいい、常緑喬木、初夏深紅色の花を開き、木の実のような形の虫の巣がつくようです。それを子供らが笛にしてもて遊んだのでした。

 今日の魯迅箴言は、箴言106です。あと2週間で箴言も終わりです。早いものです。130日は。
 人生却不在拼凑,
 而在创造,
 几千百万的活人在创造。
  Rénshēng què bùzài pīncòu,
 ér zài chuàngzào,
 jǐ qiān bǎi wàn de huó rén zài chuàngzào。
「人生は、寄せ集めのなかにではなく、創造のなかに在るのだ。幾千万の生ける人々は創造とともに在るのだ。」
 人生;人生 rensheng 寄せ集め;拼凑 pincou 創造;创造 chuangzao 
  生ける人;活人 huoren 

 今日の論語は、論語7-28(論語巻第四 述而第七篇 28章)です。
 互郷與言、童子見、門人惑、子曰、與其進也、不與其退也、唯何甚、人潔己以進、與其潔也、不保其往也、
 Hù xiāng yǔ yán, tóngzǐ jiàn, ménrén huò, zǐ yuē, yǔqí jìnyě,
 bù yǔqí tuì yě, wéi hé shén, rén jiéjǐ yǐ jìn, yǔqí jié yě, bù bǎo qí wǎng yě,
「互郷、与(とも)に言い難し。童子見(まみ)ゆ。門人惑う。子曰わく、其の進むに与(くみ)するなり。唯だ何ぞ甚だしき。人、己を潔くして以て進まば、其の潔きに与せん。其の往を保せざるなり。」(互郷の村の人はまともに話がしにくいのだが、そこの子どもが孔子にお会いしたので、門人がいぶかった。孔子はいわれた。「そのやって来たことを買うのだ。去ってゆくのは賛成しない。あの子どものころをいぶかるとは、ほんとにひどすぎる。人がその身を清くしてやって来れば、その潔さを買うのだ。帰ってからのことは保証しなくていい。」と。)(互乡与言,童子见,门人惑,子曰,与其进也,不与其退也,唯何甚,人洁己以进,与其洁也,不保其往也,)