6月24日、水曜日です。

 今日の子規歳時は、
 撫し子や人には見えぬ笠のうら (1892年、明治25年6月24日)
 木曽川駅で汽車を待合わすとき、駅前の茶店に十六ばかりの娘ありて、「其無邪気な顔どうしても今に忘られず」と小品「旅」に書いたため、後年「俳聖見そめ塚」が建てられようとしたこともあったそうです。

 今日の魯迅箴言は、箴言112です。
 人类最好是彼此不隔膜,相关心。
  然而最平正的道路,却只有用文艺来沟通,
  可惜走条道路的人又少得很。
   Rénlèi zuì hǎo shì bǐcǐ bù gémó, xiāngguān xīn.
   Rán'ér zuì píngzheng de dàolù, què zhǐyǒu yòng wényì lái gōutōng,
   kěxí zǒu zhè tiáo dàolù de rén yòu shǎo dé hěn。
「人類はお互いに分け隔てることなく、関心をもちあうのが最もいいのだ。しかも、その最も平坦な道は、文芸をもって通じ合うほかはないが、惜しむらくは、この道を行く人はまた、あまりにも少ないのだ。」
 人類;人类 renlei 関心;关心 guanxin 平坦;平正 pingzheng 道路;道路 daolu  
  文芸;文艺 wenyi 意思疎通;沟通 goutong 惜しむらく;可惜 kexi

 今日の論語は、論語7-34(巻第四 述而第七篇 34章)です。
 子疾病、子路請祈禱、子曰,有諸、子路對曰、有之、誄曰、禱爾于上下神祗、子曰、丘禱之久矣、
 Zi jíbìng, zilù qǐng qídǎo, zǐ yuē, yǒu zhū, zilù duì yuē, yǒu zhī, lěi yuē,
 dǎo ěr yú shàngxià shén zhī, zǐ yuē, qiū dǎo zhī jiǔ yǐ,
 「子の疾(やまい)、病(へい)なり。子路、禱(いの)らんと請う。子曰わく、諸(こ)れ有りや。子路対(こた)えて曰わく、これ有り、誄(るい)に曰わく、爾(なんじ)を上下の神祗に禱ると。子曰わく、丘の禱ること久し。」(孔子の病気が重かったので、子路はお祈りしたいと願った。孔子が、「そういうことが有ったか。」といわれると、子路は答えて、「あります。誄(るい)のことばに『なんじのことを天地の神々に祈る。』とみえます。」といった。孔子はいわれた、「自分のお祈りは久しいことだ。ことごとしく祈ることはない。」と。)(子疾病,子路请祈祷,子曰,有诸,子路对曰,有之,诔曰,祷尔于上下神祗,子曰,丘祷之久矣,)