7月4日、いい天気です。7月最初の土曜日です。

 7月4日、とてもいい天気です。でも、書斎の窓から空を見上げると、結構薄く雲がひろがっています。暑くなりそうな気配です。今日は午前中の奏海の会を欠席して、午後からの川柳ステーションの句をつくっていました。4時半には真木さんとも会う約束です。夕方の懇親会には出ないつもりです。
 昨夜、約1カ月ぶりに三男夫婦がやってきました。国保の給付金がおりたので、三男から一時借りていた金も返すことができ、すっきりした気分で会うことができました。これで、貧乏ですが、借金無しの気ままな生活が始まりました。

 今日の子規歳時は、
 星の名を善く知る人や門涼 (1899年、明治32年7月4日)
 大原其戎は、年少にして京都に上って桜井梅室の門に学び、宗匠となり四時園を名のった人です。帰郷後、明栄社を起こし俳誌「真砂のしらべ」を発行、子規もこれに投句しました。子規の句の活字なった最初といわれています。

 今日の魯迅箴言は、箴言122です。
 如果貌似讽刺的作品,
 而毫无善意,也毫无热情,
 只使读者觉得一切世事,
 一无足取,也一无可为,
 那就并非讽刺了,这便是所谓「冷嘲」。
 Rúguǒ màosì fèngcì de zuòpǐn,
 ér háo wú shànyì, yě háo wú rèqíng,
 zhǐ shǐ dúzhě juédé yīqiè shìshì,
 yī wú zú qǔ, yě yī wú kě wéi,
 nà jiù bìngfēi fèngcìle, zhè biàn shì suǒwèi `lěng cháo'.
「もし、諷刺の貌(かお)をもった作品に、これっぽっちの善意も、情熱もなく、ただ読者に、一切の世事はひとつとして取るに足りず、ひとつとして為すに値しないと思わせるだけだとしたら、それはまったく諷刺ではなく、いわゆる『冷嘲』である。」
 諷刺;讽刺 fengci 貌;貌 mao 作品;作品 zuopin 善意;善意 shanyi 
  熱情;热情 reqing 読者に思わせる;使读者觉得 shi duzhe juede 
  冷嘲;冷嘲 lengchao

 今日の論語は、論語8-7(論語巻第四 泰伯第八篇 7章)です。
 曾子曰、士不可以弘毅、任重而道遠、仁以爲己任、不亦重乎、死而後已、不亦遠乎、
 Céng zǐ yuē, shì bù kěyǐ hóngyì, rèn zhòng ér dào yuǎn, rén yǐwèi jǐrèn,
 bù yì zhòng hū, sǐ érhòu yǐ, bù yì yuǎn hū,
曾子曰わく、士は以て弘毅ならざるべからず。任重くして道遠し。仁以て己れが任と為す、亦た重からずや。死して後已む、亦た遠からずや。」
曾子がいった、「士人はおおらかで強くなければならない。任務は重くて道は遠い。仁をおのれの任務とする、なんと重いじゃないか。死ぬまでやめない、なんと遠いじゃないか。」と。)
曾子曰,士不可以弘毅,任重而道远,仁以为己任,不亦远乎,)