今日は7月10日、金曜日です。

 7月10日となりました。9日に高校野球が始まりました。あの三沢高校松山商業の決勝戦を思い出します。大学2年の夏でした。母校の初戦は明日11日の予定です。この日、高校時代野球部のキャプテンだった東出君と奥さんの歓迎会を未来でやります。藤川君夫妻、小山さん、飛鳥さん、それに私たち夫婦です。
 6月に風邪をひいてから、ほとんど隠遁生活にちかく、社会には全く貢献していませんが、毎日が充実しています。女房に何もしないと叱られながらも、結構、楽しく二人っきりの生活を楽しんでいます。三食、食べられるのがなんともいいです。洗濯、掃除、それに風呂にも毎日入れまます。日がな、二階の書斎と階下の自分の部屋を行ったり来たり、3台のPCを使い、らじるらじるで音楽を聴き、BSのテレビを居間で新聞を読みながら観て、そんなながら生活です。今井君のところの珈琲を一日中温めて、時に応じて飲んでいます。今日は雨の中、国会前では戦争法案反対の集会が開かれたようです。沖縄や九州には台風の影響がでているようです。
 アベノ不況が台風や大雨の追い打ちとなって国民生活を脅かしています。それに戦争法案です。いまや、日本は中国やアジアと仲良くしなければ成り立たないことがはっきりしているのに、いまさら落ち目のアメリカのお先棒をかついで中国脅威論をかざしているのは、落ちぶれたちんどん屋のように思えてなりません。14億人の中国、11億人のインドを抜きに、これからの世界はないのです。その両国と日本がどのようにつきあっていくのか、それが21世紀の最大の課題だと思うのですが、どうしたものでしょうか。川内原発の再稼働なんて、まさに自縄自縛の愚挙以外の何ものでもありません。私の家では、毎日、わずかですが東北電力に電気を売っています。企業や行政の世話になっていません。自分の年金をもらって生活しているだけですから、誰におもねることも、遠慮することも必要ありません。
 人間は機械ではないのです。日本人はアメリカの手先のロボットではないのです。明治維新から戦前にかけての日本と中国、そして朝鮮との関係の亡霊にとりつかれることなく、新しい対等の関係、新しい差別のない関係を築くべきではないでしょうか。日本がかつて中国や朝鮮に出かけて行って、侵略したのは紛れもない事実なんですから、そのことの事実だけはしっかり踏まえて、新しい関係を模索すべきではないでしょうか。魯迅はいっています。墨で書いた虚言(うそ)は、血で書いた事実を決して覆い尽くすことはできない、と。南京に行ってみて、たしかにそうだと思いました。長春でもそう感じました。日本と日本の軍隊が、中国へ出かけていき、戦争をして、たくさんの血を流したのは覆うべくもない事実なのですから。
 私にはもはやアメリカに学ぶべきことはないと思います。付き合えば付き合うほど、人間性の破壊として跳ね返ってくるだけのような気がします。いまこそ、日本はアジアの一員として、東洋の誇りをとりもどすべきだと思います。そのため、21世紀の日本は新しい思想としてのアジア主義を掲げるべきではないでしょうか。そこにあるのは資本主義とか社会主義といったイデオロギーを超えた、豊かな人間性に裏打ちされたあたらしい共存共栄の平和主義ではないでしょうか。

 今日の子規歳時は、子規と野球にちなんだ話題です。
 夕暮やかならず麻の一嵐 (1896年、明治29年7月10日)
 碧梧桐が子規から野球のルールを教えられキャッチボールをしたのは明治21年夏と語っています。しかし、同夏は子規が帰省していないので、20年夏か22年の歳末とみられています。これが松山へ野球が伝えられた最初といわれています。

 今日の魯迅箴言は、箴言128(今日も含めてあと3日となりました)です。
 我总以为倘论文,最好是顾及全篇,
 并且顾及作者的全人,以及他所处的社会状态,
 这才较为确凿。
 要不然,是很容易近乎说梦的。
 Wǒ zǒng yǐwéi tǎng lùnwén, zuì hǎo shì gùjí quán piān,
 bìngqiě gùjí zuòzhě de quán rén, yǐjí tāsuǒ chǔ de shèhuì zhuàngtài,
 zhè cái jiàowéi quèzuò.
 Yào bùrán, shì hěn róngyì jìnhū shuō mèng de.
「私はいつも文を論じるとき、最もいいのは全篇に目を通すことで、そのうえに作者の全人格や置かれた社会状況を見回して、はじめて明確になると考えている。さもなければ、絵空事を説くことになりかねない。」
 いつも;总 zong 文を論ずる;论文 lunwen 気を配る;顾及 guji 
  全篇;全篇 quanpian そのうえ;并且 bingqie 全人格;全人 quanren 
  社会状況;社会状态 shehui zhuangtai 明確;确凿 quezao 
  さもなくば;要不然 yaoburan 容易;容易 rongyi 絵空事;说梦的 shuomengde

  今日の論語は、論語8-13(論語巻第四 泰伯第八篇 13章)です。
 子曰、篤信好學、守死善道、危邦不居、天下有道則見、無道則隱、邦有道、貧且賤焉、恥也、邦無道、富且尊焉、恥也、
 Zǐ yuē, dǔxìn hào xué, shǒu sǐ shàndào, wēi bāng bù jū,
 tiānxià yǒu dàozé jiàn, wúdàozé yǐn, bāng yǒu dào, pín qiě jiàn yān,
 chǐ yě, bāng wú dào, fù qiě zūn yān, chǐ yě,
「子曰わく、篤く信じて学を好み、死を守りて道を善くす。危邦には入らず、乱邦には居らず、天下道あれば則ち見(あらわ)れ、道なければ則ち隠る。邦に道あるに、貧しくして且つ賤しきは恥なり。邦に道なきに、富みて且つ貴きは恥なり。」
孔子がいわれた、「深く信じて学問を好み、命がけで道をみがく。危うい国にはゆかず、乱れた国には止まらない。天下に道あれば表立って活動するが、道のないときには隠れる。国家に道があるときなのに、貧乏で低い地位にいるのは恥であるし、国家に道がないのに、金持ちで高い地位でいるのも恥である。」と。)
(子曰,笃信好学,守死善道,危邦不居,天下有道则隐,邦有道,贫且贱焉,耻也,邦无道,富且尊焉,耻也,)